湾岸戦争30年 日本への教訓 田原牧・論説委員が聞く

2021年1月25日 08時13分
 今年は湾岸戦争から三十年です。一九九〇年八月にフセイン政権下のイラク軍がクウェートに侵攻。翌年一月、米国主導の多国籍軍がイラクと開戦し、圧倒しました。侵攻後、クウェートとイラクにいた日本人約四百人も一時、イラク側の「人質」にされました。解放に奔走した元駐イラク大使、片倉邦雄さんと湾岸戦争の教訓を考えます。

元駐イラク大使・片倉邦雄さん

 田原 湾岸危機とその後の戦争の主役だったイラクのフセイン元大統領が亡くなって、もう十五年です。危機の当時、意外だったのはクウェートやイラクに駐在していた日本人たちが欧米人同様、イラク側の人質にされたことです。というのも、そのころはアラブ世界の対日観が極めて良かったからです。
 片倉 そうですね。私がイラクに着任したのは一九九〇年四月で、クウェート侵攻の四カ月前です。その二年前に八年間に及んだイラン・イラク戦争が終わり、イラクでは復興のつち音が響いていました。日本企業も経済協力を再開し始め、イラク側の期待も膨らんでいました。
 六月にはフセイン氏の妻、サジダ夫人と次男のクサイ夫妻らが非公式に来日し、私の妻(イスラム世界研究者の故片倉もとこ氏)も日本で出迎えて、友好ムードが高まっていました。
 イラク側の態度を一変させたのはクウェート侵攻直後の日本政府の対応でした。日本は即時撤退など国連安保理決議への支持のみならず、各国に先駆けて資本取引の停止など独自の対イラク経済制裁を発表します。
 日本はかねて欧米諸国に「エネルギー確保に見合った安全保障上の貢献をすべきだ」とたたかれており、負い目に感じていました。だが、この日本の態度はイラク側には意外で、神経を逆なでされたのだと思います。
 田原 ただ、日本は西側陣営でもアラブへの植民地支配の歴史と無縁です。イスラムをめぐる宗教的確執もない。当時のアラブ地域は反米意識が強く、民衆は「米国と戦争をした国」と日本を評価していました。
 片倉 日露戦争についても同じです。しかし、欧米の帝国主義支配は巧妙です。露骨な侵略の後に、留学生制度や文化交流機関などを通じたスマートな支配を展開します。武器取引や技術移転などもそうです。
 むろん、過去の恨みを蒸し返されるリスクはあります。しかし、第四次中東戦争で湾岸諸国が石油戦略を発動した際も、二枚舌外交でパレスチナ問題の原因をつくった英国やフランスが「友好国」で、日本は当初「非友好国」扱いでした。日本は商売相手だけど、それ以上ではない。「関係のない関係が一番悪い」ということでしょう。
 田原 結果的に四百余人の日本人の人質は開戦前に無事解放されました。「人間の盾」にされた邦人の安否確認のため、拘束されていた施設を視察名目で訪れ、接触を図ったこともあったそうですね。対米協調優先の本国政府と邦人保護第一の現地大使館の立場のはざまで、悩まれたことも多かったと思います。
 片倉 こんな事件は戦後初めてで、「西側スクラム」維持と邦人救出の間で外務省も思考停止に陥っていました。私は出先の大使ですから、邦人救出の優先を訴えました。しかし、日米協調が最優先されたのは事実です。帰国後、この点を省内で問題提起しましたが、振り向かれることはありませんでした。
 ただ、その後、邦人保護を担う領事移住部が領事局に昇格されるなど改善面もありました。
 田原 政府は停戦後、「カネだけで人を出さない」という国際的な批判を口実に、自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣します。自衛隊の海外派遣の始まりです。一方、日本人が標的とされる事件が増えていきます。
 片倉 「カネだけ」という批判は心外でした。イラクが侵攻した際、在クウェートの日本大使館は危険を冒して米国の外交官らをかくまっています。
 対米関係への偏りについては日本の独自外交の弱さとして捉える必要もあります。中東和平やイランとの緊張緩和でも、かつて日本は国際舞台の一角を担っていました。それがいまでは「日本の立場は米国と同じ」と見なされ、外されています。
 片倉 米国との協調は重要です。だが、中東で米国が一貫した政策を持ち、かつ功を奏してきたかと言えば、疑問です。イラク戦争の開戦理由だった大量破壊兵器の所有ではニセ情報にだまされた。戦後のイラクについても、確固たる戦略がなかった。それが今日の混迷を招いています。いま、イランの覇権を非難していますが、種をまいたのは他ならぬ米国自身です。
 私は二〇一五年に成立した安全保障関連法に反対の立場でした。理由はそうした米国の危うさに日本が巻き込まれかねないと懸念したからです。
 肝心なのは日本外交の独自性です。その確立には情報収集力や分析能力の飛躍が欠かせません。だが、英仏の重厚さと比べると、まだまだ不十分です。
 田原 米国ではバイデン新政権が始動しました。でも、中東でかつてのような米国の求心力の復活は望めません。加えて脱化石燃料の流れで、戦略物資としての石油などの重要性も下がっています。いわば、日本にとって中東の重要性は相対的に下がっているように感じます。
 片倉 米国のプレゼンスが弱くなっていることは、日本にとっては独自外交を築く好機でもあるはずです。それに中東の重要性はエネルギーに限らない。歴史的に人やカネの流れの観点からは国際政治、国際経済の橋頭堡(ほ)であるという地政学的な価値を見失ってはいけません。
 加えて、重要さを増しているイスラムの問題があります。世界の人口の約四分の一がイスラム教徒で、その中心にアラブ世界があります。幸い、日本社会には欧米のようなイスラムフォビア(恐怖症)がありません。
 〇一年に当時の河野洋平外相は湾岸諸国歴訪の際、「イスラム世界との文明間対話セミナー」を提唱し、世界的な注目を集めました。従来の技術協力と精神、文化面での交流が組み合わされれば、日本の存在力は大きく伸びると確信します。
 田原 片倉さんは戦後のアラビスト(アラブ専門家)外交官の一期生です。アラビアのロレンス(英国陸軍将校のT・E・ロレンス)にあこがれたとも聞いています。長い現場経験から、日本のアラブ外交に何が不可欠だと考えますか。
 片倉 平凡ですが、語学力は欠かせません。私が外務省に入省したころはアラブ担当は欧亜局の付録のような存在でした。いま、現地語に精通するアラビストの数はロシア、中国の専門職員に遜色がないほどです。
 アラブは密な社会です。米国の文化人類学者、エドワード・ホールは息と息を合わせる対人距離をアラブの生活感覚と指摘しています。コロナ禍の時代とはいえ、そうした世界に溶け込むのに言葉は欠かせません。
 人的なネットワークがあってこそ、国際社会に「物を申す」ことができる。これも湾岸戦争の教訓のひとつだと思います。
<かたくら・くにお> 1933年、東京都生まれ。東京大法学部卒。60年に外務省入省。駐アラブ首長国連邦(UAE)、駐イラク、駐エジプトの大使を歴任。大東文化大教授を経て、現在は一般財団法人・片倉もとこ記念沙漠(さばく)文化財団評議員。著書に『アラビスト外交官の中東回想録』(明石書店)など。

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