本心<241>

2020年5月12日 02時00分

第九章 本心

 僕は、自分と母との会話を思い返しながら、こんな「死ぬべきか、死なないべきか」といった議論は、存外、どこででもなされている世の中なのだろうかと、ふと考えた。
 そう、その問いは、「生きるべきか、死ぬべきか」ではなかった。――「方向性」としては、「死ぬべきか、死なないべきか」の選択だった。
      *
 <母>が、吉川先生の安楽死を看取(みと)った。本人の達(たっ)ての希望とのことで、カンランシャの野崎から連絡があり、拒否する理由が何かあるだろうかとしばらく考えて、僕は同意した。
「良かったです。きっと、安心して最期を迎えられると思います。」
 野崎のそうした本心ともセールストークともつかぬ口ぶりも、相変わらずだった。
 ネットで調べれば、僕は吉川先生について、もっと多くを知り得ただろうが、意識的にそれを避けていた。<母>の中に混ざり込んでゆく男性の存在に、具体的に触れたくないという気持ちがずっとあった。今また、彼の生を知ることで、その死が僕に近くなり、重みを増してしまうことが厭(いと)わしかった。
 僕が引き受けなければならない死なのだろうかと考えて、自分の中に、冷淡な感情のあることを認めた。
 この社会の中に刻々と生じている幾つもの死。――それはそもそも、宛先の必要なものなのだろうか?
 誰か受取人がいるはずだと思えば、いないことは孤独だ。残念ながら、自分自身がその受取人になることは出来ない。家族がいて、ずっと僕の死を保管し続け、時折開封して、風通しを良くしてくれると思えたなら、死の恐怖は和らぐだろうか? そうした関係を持ち得なければ、死はより恐怖だろうか?
 もっと大きな宛先を、僕たちは平等に持っている。
 僕は、石川朔也(さくや)の死という、固有名詞を持った死を死ぬ。けれども、時とともに、段々(だんだん)と幽(かす)かになっていって、やがては同じ一つの巨大な無へと溶け入って、その存在の痕跡を失う。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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