<ふくしまの10年・詩が生まれるとき>(1)被災後、妻と子と離れ

2021年1月26日 08時10分
 二〇一一年三月十一日、福島県伊達市の保原高校で入試の判定会の会議中、教員の携帯電話が一斉に鳴り始めた。国語教諭で詩人の和合亮一さん=当時(42)=は「音を消したはずなのに」と不思議に思った。携帯に触った途端、最初の衝撃が襲ってきて、ぐわんと地面が波打つ。続いて経験のない横殴りの衝撃。必死に机の下に潜るが、揺れは止まらない。「外に出ましょう」という野球部顧問の声を合図に一階窓から中庭に出た。
 ガラスが割れ、校舎が壊れる音、地鳴り…。みぞれが降ってきてあぜんとする。「次は収まってくれ」と祈るが、これでもかこれでもかと揺れは続く。授業で生徒のいる日だったらと思いぞっとした。
 妻の携帯に奇跡的につながり、小学校六年の息子を学校に迎えに行ってもらう。和合さんは連絡のつかない福島市の実家に向かった。道路崩壊や通行止めで大きく回り道をし、ようやく実家に着いて両親らの無事な姿を見たとき、安堵(あんど)で思わず涙があふれた。
 震災直後から原発が危ないという話は出ていた。和合さんは手帳に、出来事や津波の死者数などをひたすら書き留めた。書くとなぜか安心した。翌日、福島第一原発1号機が水素爆発。夜、東電社員の教え子が「できるだけ遠くに逃げてください」と電話をくれた。父親は足が悪く、両親は避難しないことを選択。和合さんも福島に残ることを決意した。山形の妻の実家に、妻と息子が避難したのは十六日朝。「二度と会えないかもしれない」。脳裏に不安がよぎった。(片山夏子が担当します)
 ◇ご意見はfukushima10@tokyo-np.co.jpへ

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