本心<227>

2020年4月27日 02時00分

第九章 本心

 僕は、「性夜」という言葉から、この場所は、仮想空間内の風俗店なのではないか、と思っていた。しかし、中に入り、金の金具で留められた赤絨毯(あかじゅうたん)の階段を上って目の当たりにしたのは、想像を超えた光景だった。
 僕は、その宴会場の様子を、詳しく描写することはしない。煌(きら)めくクリスタルのしずくが滴るような大きなシャンデリアが、高い天井から何基も下がっていて、中は広く明るかった。テーブルやソファなどが置かれ、個室らしい部屋も設置されている。床は大理石で、その至るところで、無数の裸体が入り乱れ、絡まり合い、うごめいていた。
 館内には、大音量でクラブ風の音楽が流れていて、それに誰のものともつかない嬌声(きょうせい)が蔦(つた)のように絡んでいた。
 僕はただ、呆然(ぼうぜん)とその様を眺めていた。淫猥(いんわい)なものに衝(つ)き動かされる、というのではなく、怖(お)じ気づいているような有様(ありさま)だった。やがて、近くをうろついていた全裸の女性二人組に声をかけられた。一方は、アジア系の風貌で、もう一人はブルネットの白人だった。
「ここは裸が“ドレス・コード”なのよ! 初めてなの? 一緒に楽しみましょうよ。カッコいいアバターねえ! 中身も狼(おおかみ)なの? あはは。脱いで見せてよ!」
 僕は、大きな笑顔でそう語りかけられたが、返す言葉もなく、黙って二人を見ていた。メディアで目にする“セレブ”そのままの華やかな風貌だったが、中は一体、どういう人たちなのだろうか。
 沈黙が続くと、二人は顔を見合わせ、冷ややかな嘲笑を浴びせてその場から立ち去った。喧噪(けんそう)の中で、僕は奇妙な静けさの中に閉じ込められていた。
 長くいる場所ではなかったので、僕は、退出するつもりで出口に向かった。視界の先の、テーブルの上に半身を乗せつつ目交(まぐわ)う男女を見ながら、僕は、中の人たちが、それぞれの自室で、代替的な器具に接続されている様を想像した。
 ぼんやりしていたせいで、僕は、前から歩いてきた、岩山のように屈強な半裸の男性に気づかなかった。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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