遣唐使船 21世紀に出港 最新考古学と沈没船参考に謎に挑み復元へ
2021年1月27日 12時00分
押印文化や仏教などを中国から持ち帰り、古代日本の国家体制や文化の形成に大きな影響を与えた7~9世紀の遣唐使。当時の最新の知見を求めて命懸けで海を渡った遣唐使の旅を支えた船の実像は、謎に包まれている。そんな遣唐使船の本来の姿に迫る模型が来月、完成する予定だ。手掛けるのは静岡県内の水中考古学者と造船所。水中考古学の知見を反映した復元は国内で初めてという。(五十幡将之)
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◆不明だった内部構造
唐で学び、真言宗を開いた空海や天台宗の開祖最澄、百人一首で知られる阿倍仲麻呂 …。歴史上の重要人物を運んだ遣唐使船だが、当時の姿を記した資料はほぼ残っていない。
遣唐使として唐に渡った吉備真備 にまつわる逸話を絵巻とした「吉備 大臣 入唐絵巻 」(ボストン美術館蔵)が描かれたのは、遣唐使廃止から約300年後の鎌倉時代。仮に外観は参考にできても内部構造は不明で、これまでの数々の復元船は「想像」というのが関係者の間の通説だ。
◆常識一変
東アジアの沈没船研究の第一人者で、東海大海洋学部(静岡市)講師木村淳さん(41)の約20年にわたる研究から、1000年以上前のアジアの船の特徴が徐々に明らかになってきた。考古学的な時代考証を経た復元が可能となり、アジアとの文化交流の歴史を研究する九州国立博物館(福岡県太宰府市)が模型の新造に当たり、木村さんに監修を依頼した。
従来の復元船との一番の違いは外見と骨格。現代船の常識から、これまでの復元船は、水に触れる外板部は、板を平らに接続する「平張り」を採用していた。
しかし、中国の海底で発見された12~13世紀の沈没船に着目した木村さんの研究で、中世東アジアの商船は外板を一部重ねて継ぐ「鎧張り」が主流で、平張りは後世の技術と判明。鎧張りは遣唐使船が活躍した時代にもさかのぼる可能性が高いという。
船内を仕切る「隔壁」も、中世の中国商船では現代の倍近い枚数が設置されていたことも判明。甲板下は1~2メートルほどの間隔で仕切られ、中国から文物を持ち帰ることを重視した構造の可能性が高いことなどが分かった。
◆2月末完成予定
復元を担うのは、木造船製造技術の高さを買われ、自治体や企業の依頼で数々の遣唐使船復元を手掛けてきた岡村造船所(静岡県松崎町)。岡村宗一会長(74)は「従来の常識との違いに戸惑ったが、徐々に実態が分かる点が歴史の面白さ」と話す。
木村さんは「遣唐使船の本当の姿や構造が分かれば、遣唐使の役割や目的がさらに明確になる可能性があり、日本のルーツを探ることにもつながる」と語る。
模型は全長145センチ、幅約32センチで、実物の20分の1の大きさ。スギやヒノキ、ケヤキで造られ、2月末に完成の予定。九州国立博物館で展示される。
遣唐使 630~894年(飛鳥ー平安時代)の日本から、先進文化の導入と外交関係の維持などを目的に唐に派遣された外交使節。十数年おきに15回ほど派遣されたとされ、4隻の船団を組む姿から「四つの船」とも呼ばれた。船の大きさは推定長さ約30メートル、幅約8~10メートルで、1隻の乗組員は使節や留学生、僧侶、水夫ら推定百数十人。竹を編んだ「網代帆(あじろほ)」で風を受けて進み、3~4日から数週間をかけて東シナ海を渡った。往復の成功率は6~7割程度だったとされる。
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