本心<200>

2020年3月30日 02時00分

第八章 新しい友達

 母は、その大部分を印刷本で読んでいて、僕はその文庫の中から、『ダイモーン』という古代ギリシアの哲学者ソクラテスを主人公にした長篇小説(ちょうへんしょうせつ)を、最近、読んでいた。
 物語は、ペロポネソス戦争に参加したソクラテスが、その悲惨な体験の故に、実はアテナイに戻ってきた後、所謂(いわゆる)PTSDに苦しんでいた、という設定だった。
 当時は無論、そんな症状については、当人も周囲の者たちも無理解だった。ソクラテスは、自然に対しても、言葉に対しても、酷(ひど)く虚無的になり、生の実感を喪失し、孤独に陥った。何よりも、自分の理性も魂も信じられなくなってしまった。だからこそ、彼は、「ソクラテス以上の賢者は一人もいない」というデルポイの神託に衝撃を受け、しかしそれは、ひょっとすると、自分がこの奇妙な感覚を知っている、という意味なのではないだろうかと、予感するのだった。
 そこから、ソクラテスは街に出て、有名な問答法というのを始める。
 通りを歩く人を捕まえて、片っ端から問いかけ、自己撞着(じこどうちゃく)に導き、自分がこの世界のことを、誰よりも知らないと知っていることに於(お)いてこそ、神託の「賢者」という言葉を理解してゆく。しかし、藤原が強調するのは、その際のソクラテスの空虚感であり、この世界に生きていないという苦しみであり、実のところ、彼は他者の存在を懸命に求めているのだった。
 彼は、その症状を周囲には直隠(ひたかく)しにしていたが、プラトンは、師の姿を、現実の否認とイデア界の評価という自らの思想に引き寄せて解釈し、“悪妻”とされた伴侶は戸惑い、ソフィストたちは彼の中の曖昧なものを不気味に感じ、ただ、優れた軍人でもあったクセノフォンだけが、その苦しみを察していた、と描写されている。そして、「ソクラテスは国家の認める神々を信奉せず、且(か)つまた新しい神格を輸入して罪科を犯している。また青年を腐敗せしめて罪科を犯している。」と告発され、死刑判決を受けた後、脱獄することもなく、自ら毒杯を呷(あお)る彼は、酷く疲れていて、弟子たちの動揺を些(いささ)か持て余していた。もう楽になりたがっていたとする藤原の筆は、明示的ではないが、ほとんど、安楽死を願うような調子だった。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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