本心<197>

2020年3月27日 02時00分

第八章 新しい友達

――僕は、まるで自分が、本当にそうしたかのような偽の記憶にしばらく浸っていた。実際には、母の手もまた、不在の僕を求めて、あの時、虚空に伸びていたのだったが。……
 僕は、これまで躊躇(ためら)っていた手紙を、藤原亮治に宛てて書くことにした。
 決心を促された理由は幾つもあったが、説明しようとすると矛盾もあり、心許(こころもと)なかった。
 僕はやはり、自分自身の出生について確かめたかった。
 僕の父親は、戸籍上は空欄だったが、母からはディズニーランドで一緒に撮った写真を見せてもらい、震災のボランティアで知り合ったというその人の思い出を、色々と話してもらっていた。
 しかし、三好によれば、父の存在についてのその物証はニセモノであり、語られたところはすべて作り話なのだった。
 こんな侮辱的な指摘に対して、僕が強く反発しなかったのは、結局のところ、母の話に薄々(うすうす)感じていた僕の疑念が、やっと手を差し伸べられたといった体(てい)で、この話に縋(すが)りつき、抱きついたまま、離れなくなってしまったからだった。三好の憶測(おくそく)は、母が彼女に語った打ち明け話に基づいていた。つまり、僕は母に、彼女を介して再会したのだった。
 母は確かに、僕に父の話をしてくれた。けれどもそれは、想像で描いた街の絵のように、現実ならば当然あるような、思いがけない細部や、フレームの外側に無限に拡(ひろ)がってゆくような断片を欠いていた。その父は、出来の悪い V F (ヴァーチャル・フィギュア)のように、人間らしい感じがまったくせず、「不気味の谷」の遙(はる)か手前といった感じだった。
 正直なところ、僕はこのことと、どう向き合えば良いのか、途方に暮れていた。まず不確かだ。しかし、真相が何か、明るいものであるとは凡(およ)そ想像できず、もう何ヶ月もの間、僕の心の一隅には、薄暗い、重たい靄(もや)のようなものが澱(よど)んでいて、不意に胸に溢(あふ)れ出す度に、僕はその栓を閉めようとするように、目を瞑(つむ)り、眉間を引き絞ってしばらく耐えていなければならなかった。
 そして、僕はこの謎が、僕の中にあるもう一つの大きな謎と関連しているのかどうかを、折々、ぼんやりと考えていた。つまり、母の唐突な安楽死の決意と。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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