本心<182>

2020年3月11日 02時00分

第八章 新しい友達

「だったら、間違ってないです。本当はもっとお送りしたかったんですけど、いきなりだと、警戒されるかと思って。」
「警戒って言うか、……正直、今も戸惑ってますけど、とにかく、ありがとうございました。」
「喜んでもらえました?」
「ええ、……ハイ、それは、何と言っていいのか、わからないくらいですけど。」
「良かった! どうぞ、中で話しましょう!」
 彼は、一息でという勢いで軽快に車椅子を反転させて、僕を先導した。
 通されたリヴィングは、三十畳あるそうで、吹き抜けの天井は、六メートルと見上げるような高さだった。
 南側と西側は全面ガラス張りで、眼下には、博物館の模型のように、ぎっしりと東京の街並みが拡(ひろ)がっている。整然と道路を行き交う車は、小さな虫のようだった。
 空は青く晴れ渡っていて、彼方(かなた)には、富士山の白い頂上が僅(わず)かに見えた。
「すごい眺めですね。なんか、仮想現実の中にいるみたいです。」
 僕は、無音の室内に反響する自分の声に驚いた。何故(なぜ)か急に、「咳(せき)をしても一人」という、尾崎放哉(おざきほうさい)の句が脳裡(のうり)を過(よぎ)った。
「暑いんですよ、窓が大きいから。冬はまだしも、夏はヒドいです。環境に悪い建物ですよ。」
 イフィーは、少しばつが悪そうに、苦笑交じりに言った。実際、日差しは強く、しばらく窓辺に立っていると、額が汗ばんできた。
「一人暮らしなんですか?」
「そうです。十階に両親と妹が住んでますけど、ほとんど顔を合わせないんですよ。不仲なんです。」
「……そうですか。」
「僕は見ての通り、障害者ですけど、十代の頃から急にお金持ちになって、両親はどう接していいのか、わからないんです。ヘンでしょう? 家族の生活は、今は全部、僕が見てるんですよ。この家も、十階の部屋も、全部僕が買ったんです。妹が一人いますけど、その学費とかも、とにかく全部。妹だけは、たまにここにも来ますけどね。……両親は、僕に怯(おび)えてるんです。親だけど、僕に逆らえないって思ってるんです。――止(や)めましょう、こんな話。すみません、初対面なのに。ソファ、どうぞ。」
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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