本心<142>

2020年1月30日 02時00分

第七章 転機

 彼女の存在に集中し、追い縋(すが)ってくる記憶を振り払いたかった。
「――白菜とか、ネギとかですかね。」
「うん。何でも朔也(さくや)君の好きなの、入れれば良いと思うけど、お肉は鶏の方が美味(おい)しいと思う。でも、キムチ鍋用に、豚肉も買っておこっか。」
 僕は、「セール品」の値札を見ながら、食材を選んでいく三好に、カゴを持って付き従った。毎月の食費は、四万五千円以内にしようといつも努力している。この日は、四日分程度を買い込み、二人で二千三百円に収まったので、缶ビールの六本パックも買った。
 鍋など「料理じゃない」と豪語する通り、三好は、手際良く野菜を切り、骨付きの鶏モモ肉に塩麹(しおこうじ)で下味をつけ、あっという間に準備を終えた。
「本当は一晩くらい、塩麹に漬けておかないとダメなんだけど。」
 僕は狭いキッチンで、米を炊くくらいしか、手伝うことがなかった。
 テーブルに食器と箸を並べながら、母と一緒に毎晩のように食事をしていた頃のことを思い出した。
 三好との「シェア」が始まって以来、リヴィングの整頓にも気を使うようになった。留守中には、彼女もよくテーブルを拭いたり、掃除機をかけたりしていた。
 鍋は口当たりが良く、鶏からよく出汁(だし)が出ていて、どこか、コーンスープのような風味だった。その煮立ったまろやかな香りの傍らには、まだ生のままの長ネギや白菜の香りが控えていて、菜箸を伸ばして具を追加する度に、不意に鼻を掠(かす)めた。
 僕は、豆乳でとろけるほどに煮えたネギや白菜の甘みと、張りのあるモモ肉の塩味との両方のために、ビールを飲み、またごはんを食べた。
「美味しいですね、見た目よりサッパリしていて。どこで習ったんですか?」
「ネット。」
 三好は、口に入れた鶏肉を熱そうにしながら、その骨を取り出して失笑した。
「料理は全部ネット。親から教えてもらったりとかは、全然。大体、料理ヘタだったし、美味しくなかったし。家庭の味が懐かしいとか、そういうのはないんだよね。」
「そうですか。」
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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