橋本治の世界

2021年2月1日 07時42分
 橋本治という不思議な作家がいた。デビュー作は青春小説。その後、古典を現代語訳したかと思えば、三島由紀夫を論じ、後年の長編小説では昭和という時代を描いた「橋本治」とはなにものだったのか。

<橋本治> 1948年、東京都生まれ。2019年1月29日死去。東京大在学中の68年に制作した学園祭のポスターで注目される。77年に小説「桃尻娘」で作家デビュー。枠にはまらない自由で多彩な執筆活動を展開。80年代には異色の古典現代語訳『桃尻語訳 枕草子』などで話題になる。評論『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で小林秀雄賞(02年)、長編小説『草薙の剣』で野間文芸賞(18年)。趣味を生かし、男性向け編み物指南書も手掛けた。

◆独自の知性持つ天才 思想家・内田樹さん

 「橋本治」という名前が刷り込まれたのは、一九六八年の秋です。橋本さんの「とめてくれるなおっかさん」の東京大駒場祭のポスターを見たのが最初でした。
 学園紛争の全盛期でしたから学園祭ポスターはどこでも鮮烈な原色が使われ、文字数の多い政治スローガンで埋め尽くされていました。その中にあって、橋本さんのポスターは端正で、色数が少なく、手触りがやさしかった。騒乱の時代にはずいぶん異質なものでした。高校を中退して行き場を失っていた僕の身に染みました。
 『桃尻娘』を読んだのはそれから十年以上たってからです。「あの橋本治が小説を書いたのか」と驚き、すぐに買って読んで、それ以来のファンです。
 橋本さんが時代の寵児(ちょうじ)だった八〇年代は、日本がやたらにリッチな時代でした。メディアもお金があり余って、変な企画でもどんどん通してくれた。橋本さんもその時期に他の時代だったらまず出せないような変な本(『アストロモモンガ』とか)を出すことができた。ある意味幸福な時代でした。
 「桃尻娘」シリーズに「大学番外地 唐獅子南瓜」という作品があります。あのシリーズはすべて一人称の語りなんですが、この作品の語り手は語彙(ごい)が少なく表現力のない少年です。だから、すぐに絶句してしまう。小説の最後では「…………」が三ページ続きます。あんな文学的実験をした人は他にいません。
 橋本さんは独特の知性の持ち主でした。自分の感覚だけを頼りに考える。上空から俯瞰(ふかん)して作った計画に従うのじゃない。直感に導かれ、手触りが確実なものだけをたどって進む。
 橋本さんの小説もそうです。風景を描写する場合でも、物語に関係のない細部まで、話に出てこないところまで想像し切っている。だから、わずか数行の文章でも独特の厚みがある。
 あまりに巨大で、多面的な人だったので、橋本さんの全体像を次世代に伝えるのは難しいと思います。作品が多すぎるから全集は出せないだろうし。傑作集を編む場合でも、編者の好みでずいぶん違うものになってしまうでしょう。「橋本治というすごい天才がいたけど、おまえ知らないだろう。貸してやるから読んでみろ」。そんなふうに熱烈なファンの間で語り継がれていくのではないでしょうか。(聞き手・越智俊至)

<うちだ・たつる> 1950年、東京都生まれ。神戸女学院大名誉教授。合気道凱風館師範。『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など著書多数。近著に『学問の自由が危ない』(共著)。

◆ジャンル超えて融合 文芸評論家・安藤礼二さん

 出版社勤務をしていた頃、橋本さんが「出版は今後どういうところへ進むべきか」という話を新入社員の前でしてくださいました。実家の菓子店を例にあげながら「客の手の届くところにさまざまな商品を置かなくてはいけない。本が好きな人にすぐ手に取ってもらえる商品としての本をつくりなさい」とアドバイスされました。ご自身の言葉を実証するように、ジャンルを乗り越えながら膨大な作品を生み出していかれた。その橋本さんの仕事ぶりが、私が編集者から書く側の批評家になる大きな導きになりました。
 橋本さんが大学の卒業論文に選んだのは鶴屋南北でした。時間や空間、制度に縛られない近代以前のまなざしで近代を眺めることで橋本さんは作家としての多様性を育み、戯曲の「語り」言葉を重視することで独特の身体性のある文体をつくりあげたのではないでしょうか。『桃尻娘』や『桃尻語訳 枕草子』のような女性の一人語りは、男性が女性を演じたり、さまざまな役を憑依(ひょうい)させたりする江戸歌舞伎を学んだ成果でしょう。全くタイプは違いますが、時間と空間を超越した別の視点から現代を相対化する力を持っているという点で、澁澤龍彦さんと似ていると思います。
 当時の戯作者は思ってもみなかったでしょうが、近世がどのような時代だったかを知るために、彼らが残した作品が最も有効な手掛かりとなると考えられている。同じように、未来の人がわれわれが生きた時代がどんな時代だったか理解するために最も役に立つのは、橋本さんが残した膨大な文章でしょう。
 『枕草子』『源氏物語』『平家物語』といった古典を翻訳する仕事の中で、橋本さんは「個人」は「歴史」の中でしか生まれてこないという認識にたどり着いたのだと思います。美術史や文学史を再構築した橋本さんに最後に残ったのが昭和という時代。『草薙の剣』という小説で『平家物語』に登場するような英雄ではなく、無名の人々に自分が生きてきた時代を語らせました。さまざまな実験を経て獲得されたのは、無色透明で空気のような文体でした。『草薙の剣』は小説でありながら、現代史を再構成した歴史書でもあります。ジャンルを超えながら、ジャンルを融合させる。こんな仕事をやってのけたのは、橋本さん以外見当たりません。(聞き手・中山敬三)

<あんどう・れいじ> 1967年、東京都生まれ。多摩美術大美術学部教授。同大芸術人類学研究所員。著書に『折口信夫』(講談社)『熊楠−生命と霊性』(河出書房新社)など。

◆男社会の価値観批判 明治大教授、評論家・藤本由香里さん

 橋本さんの『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』は少女マンガ論の原点となった作品です。それ以前にも少女マンガについて書いた人はいましたが、まとまった形で論じたのはこれが初めてだと思います。
 橋本さんは男性ですが、基本的に男性中心の社会の価値観に違和感を持っていました。少女マンガを描いた作家やその作品に共感する私たちの側に立った。だから少女マンガを他者化せず、少女マンガを少女マンガとして論じている。その点で、『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』は本質に届く評論になったのだと思います。
 その文章は韜晦(とうかい)(自分の才能や本心などを包み隠すこと)に満ちているように見えます。章ごとに文体が変わっていて、正体をつかませない。初めて読んだ時、逃げ水のようだと感じたものです。
 でも、今回読み返してみて、その感想が少し間違っていたことを知りました。文体を変えていたのは単なる目くらましではなく、論じる作家の世界を文体で写し取ろうとしていたのです。そして、それこそが「評論は論理で書く」という男性社会の価値観に対するアンチテーゼだった。
 それは出世作である小説『桃尻娘』や古典の翻訳である『桃尻語訳 枕草子』の女子高生文体にもつながります。論理ではないものの表現。橋本さんは、いわゆる「男の書き方」とは全然違うものを世に問おうとしたのです。
 少女マンガが描いてきた少女とは何でしょうか。何者でもない存在です。男性社会では少女はめでる対象。男性の視点に合わせることができれば都合良く生きていけます。しかし、そういう世の中のシステムになじめない、つまり意識を持ってしまった少女には居場所がありません。そんなよるべない世界で見えること、感じることを少女マンガは描いてきました。そのことを初めて、言葉にしたのが橋本さんでした。
 最近のマンガ研究では少女マンガ研究とジェンダー論を切り離すべきだという考え方も出ています。しかし私は、少女マンガの基底にジェンダーの問題が横たわっていることは無視できないと思っています。そして、『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』はそのことを切ないまでに示している。だからこそ、今読んでも涙が出てくるのです。 (聞き手・大森雅弥)

<ふじもと・ゆかり> 1959年、熊本県生まれ。少女マンガを素材にした評論、ジェンダー論などを執筆。近著は『BLが開く扉』(共著、青土社)、『BLの教科書』(同、有斐閣)。

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