高円寺・小杉湯 国の登録有形文化財に 東京型銭湯 関東大震災の復興の産物

2021年2月3日 06時32分

登録有形文化財になった杉並区の小杉湯と3代目店主の平松佑介さん

 まるで神社かお寺のような豪華な東京の銭湯建築は、大正の終わりごろから増え、庶民の生活に楽しみや彩りを与えてきた。今でも当時の姿を残す銭湯は希少で、杉並区の小杉湯は昨年八月、銭湯としては都内三件目となる国の登録有形文化財になった。三代目平松佑介さん(40)は「当時の姿を守り続けたからこそ、今も多くの人に愛されている」と代々受け継がれてきた建物に思いをはせる。

「創業当時から、この高い天井」と話す平松さん

 JR高円寺駅から徒歩五分、にぎやかな商店街のそばに小杉湯はある。建設は一九三三年。寺や神社にみられる装飾である「唐破風(からはふ)」が玄関に、「千鳥破風(ちどりはふ)」が屋根に施され、歳月を経た木材も味わい深い。
 神社仏閣の特徴を持ちながらも、にじみ出るのは荘厳さより親しみやすさ。平松さんとともに小杉湯の文化財登録に尽力した建築家の瀧翠(たきみどり)さん(42)は「のれんやさまざまな掲示物、照明などと相まって、おおらかな雰囲気を醸し出しているのでは」と話す。

正面玄関の曲線的な屋根が唐破風。屋根にある三角形の意匠が千鳥破風

 小杉湯のような外観を持つ銭湯は「東京型銭湯」といわれ、一九二三年の関東大震災以降に建てられた銭湯にみられる特徴だ。それまでは商店のような町家造りが主流だったが、復興の際、当時の大工らは神社仏閣の工法で銭湯を再建。豪華な外観で、復興に向かう街の人々を元気づけたいという願いもあったようだ。
 震災から十年後、小杉湯もそんな流行を取り入れて、初代のオーナーが建設。五三年に平松さんの祖父が購入した。まだ都内に多くの銭湯があった時代。平松さんは「もうかる仕事で、家族に安定した仕事を残したいと考えていたようだ」と話す。
 小杉湯はこれまで浴室や脱衣所など四回の改修を繰り返したが、外観と構造は建設当時の姿を残し続けた。平松さんは「祖父はこの建物を気に入って購入した。二代目の父もその思いを大切にしてきた」と話す。

かつて番頭が寝泊まりしていたボイラーの上にある小部屋。現在は従業員の休憩室

 二〇一六年、三代目を継いだ平松さんは「百年後もこの建物を残したい」と考え、以前から付き合いのあった瀧さんに相談。瀧さんは「この思いを後世に残し、修繕に関わる職人や利用客と共有するためにも分かりやすい形が必要」と文化財登録を提案した。
 登録のために掘り起こした建設当時の営業許可証や図面などには、一日あたりの利用客の見込みが六百人と書かれていた。「当時はお湯を沸かすのも大変だし、営業時間も短いはずなのに、六百人はすごい」と平松さんは舌を巻く。
 現在の小杉湯も、土日は七百人ほどが利用する。三十年ほど前から肌がすべすべになる「ミルク風呂」を導入したり、長く滞在できるようギャラリーを設けるなど、ファン獲得のための努力の結果だ。瀧さんは「伝統的な東京型銭湯を残していながら、今も多くの人に愛され、営業を続けていることが、評価されたと思う」と話す。
 文化財登録によって「大切に思ってくれているすべての人の財産になった」と平松さん。百年先まで残せるよう「大切にしてくれる人たちと一緒に守っていきたい。そのためにもっと愛される銭湯にしないと」と決意を新たにする。平松家が大切にしてきた小杉湯は、これからも多くの人に守られながら歴史を紡いでいく。

◆都内では3件登録

 文化庁によると、これまでに国の登録有形文化財に登録された銭湯や温泉など公衆浴場は全国で三十数件で、全登録件数の1%にも満たない。すでに廃業したところもあるが、都内で登録された小杉湯、燕湯(台東区上野)、稲荷湯(北区滝野川)は今も多くのファンに愛されている。

燕湯 台東区上野

 東京の銭湯の歴史や文化を紹介する特別展を企画した江戸東京たてもの園の学芸員小林愛恵さんは「古い建物はメンテナンスも大変で、新しく建て替える機会はあったはず。当時の姿で今も営業しているのは、経営者の残したいという思いがあったからだ」と指摘。「毎日の入浴を非日常的な空間で楽しめるのが今も昔も変わらない銭湯の魅力。長い間、多くの人にゆとりを与えてきた銭湯建築がこれからも残っていってほしい」と話している。

稲荷湯 北区滝野川


文・西川正志/写真・戸田泰雅、市川和宏
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