<ふくしまの10年・詩が生まれるとき>(8)福島を諦めない 挑む

2021年2月4日 07時58分
 福島に関するいろいろなうわさ話が流れていた。福島と書いたら、避難先で宿泊を断られた。「福島の人は『福島の人』って名札を貼ってもらえないか」と放射能を恐れた県外の人の会話を聞いた…。
 「私たちは噂(うわさ)話の中を暮らす。息を殺して嵐の中を暮らす」。二〇一一年四月九日。和合亮一さん(52)はツイッターにこう記した。震災後、福島という響きが完全に変わってしまったのを感じていた。
 和合さんは福島で生まれ育った。風や土、光、水、自然に恵まれ、穏やかな気質の人々。祖父母には四季折々を大切にすることを教わった。動物や鳥の声、鮮やかな植物の色。季節を感じることは詩を書くことにつながった。福島で生きていくと決めたのは、息子が生まれた時。終(つい)のすみかという意識が生まれた。
 それが原発事故で一変。福島は「フクシマ」になり、一晩で世界に広まった。故郷の名がこれほど脅威として伝えられるとは思いもしなかった。避難する人々の波を感じ、福島が捨てられていく、こんなにも故郷とはもろいものだったのかと苦しくなる。同時に故郷を離れる人たちの身を切られるような辛(つら)さを感じた。
 「福島を諦めない」「福島の力を信じる」。ツイッターに書いた言葉は、最後まで残ってやるという挑むような気持ちと、もう一度福島を取り戻したいという思いだった。
 この日、息子から電話があった。「福島に戻りたい。学校に行きたい」「福島のために僕も頑張りたい」「戻ろうか」。電話を切ると、泣いている父親が一人部屋にいた。
 ◇ご意見はfukushima10@tokyo-np.co.jpへ

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