<ふくしまの10年・詩が生まれるとき>(9)多くの命 津波に奪われ

2021年2月5日 07時53分
 震災から三週間が過ぎた。ようやくガソリンが手に入るようになり、和合亮一さん(52)はすぐに福島県相馬市の松川浦に向かった。相馬は幼い時によく遊びに行った場所だった。隣の南相馬市は教員としての初任地で、二十代の六年間を過ごした。津波被害のひどかった浜通りの海で、亡くなった教え子やその家族に手を合わせたかった。
 破壊された防波堤、陸に上がった船、ひしゃげた家、土砂に埋もれた車、靴、茶わん…。和合さんは目の前の光景に衝撃を受けた。あちこちに散乱した家族アルバム。持ち主はどうしたのだろうか。津波の爪痕は想像以上に凄惨(せいさん)で、そこにあったはずの風景がバラバラになっていた。
 福島県警の警察官だった教え子は、住民を高台に誘導している時に津波に巻き込まれ、行方不明のままだった。意志が強く、剣道も強かった。警察官は彼の子どものころからの夢だった。まだ二十四歳だった。友人の母親も津波にさらわれ、浜通りのどこかに眠っていた。両親を失った教え子もいた。たくさんの命が一瞬で奪われた。
 津波となり破壊の限りを尽くした波は、今は静かに寄せて返していた。向こうから歩いてきた高齢の男性が、両手で涙を拭っている。海辺を渡る風の音が、泣いている声に聞こえた。祈るしかなかった。傾いた電信柱も、黙礼しているように見えた。
 自分は詩を紡ぐしかない。だが生き残った人間が、亡くなった人たちに言葉をささげるのは、許されるのだろうか。和合さんは静かに自問した。
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