本心<19>

2019年9月25日 02時00分

第二章 告白

 水は、見上げるような高さの緑に覆われた岩間から、宙に向けて勢い良く吹き出していた。ガラスの器に落ちてゆくかき氷のように白いその滝は、途中に迫り出した岩にぶつかり、更(さら)に大きく荒々しく開いた。
 僕は陶然とした。不吉なことと言えば、ふと、落日後に、ただこの激しい音だけを残して、暗闇に没してしまった滝のことが想像されたくらいだった。……
「滝壺(たきつぼ)に虹が架かってるの、見える?」
 僕はそう言おうとしたが、先に母が口を開いた。それで、その言葉は、一生外気に触れることがないまま、今も僕の中に留(とど)まっている。
 母は、
「やっと、朔也(さくや)の仕事がわかった。あなたのお陰(かげ)で助かる人がたくさんいるでしょうね。」
 と言った。
 僕は、何と返事をしただろうか? 虹から視線をモニターの中の母に移した。
「疲れたね? ご苦労様(くろうさま)。ありがとう。」
「ううん、僕も楽しかったから。」
「お母さん、本当に満足。これで安心。……ありがとう。もう十分。」
 僕は、滝の前を離れて、道路に出るまでの長い急な階段を上り始めた。
「朔也にいつ言おうかと思ってたんだけどね、……」
 母は、そう切り出したあと、躊躇(ためら)うように間を置いた。
「お母さん、もう十分生きたから、そろそろって思ってるの。」
「――何が?」
 僕は、つと足を止めた。少し息が上がっていた。僕は咄嗟(とっさ)に、母が、施設に入る決心をしたのではないかと考えたのだった。――そんな余裕はないはずだったが。――そして、そのことに、当惑しつつ、少し腹を立てた。
 しかし、次いで、母の口から洩(も)れたのは、まったく予期せぬ言葉だった。
「お母さん、富田(とみた)先生と相談して、安楽死の認可を貰(もら)って来たの。」
 僕は、動けなくなってしまった。何か言おうにも口が開かず、呼吸さえ止まっていた。苦しさからようやく一息吐き出すと、心臓が、棒で殴られた犬のように喚(わめ)き出した。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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