路上のポルトレ 憶(おも)いだす人びと 森まゆみ著

2021年2月7日 07時00分

◆出会った人の姿 ありありと
[評]杉本真維子(詩人)

 地域雑誌『谷中・根津・千駄木』から出発した著者が、これまでに出会った人びとのすがたを言葉によって“今ここ”に繋(つな)ぎとめる。登場人物は百人にのぼり、その多くが今は亡き人だが、彼らは憶いだされることで生きつづけるかのようだ。「憶い出」とは何か、出会いとは何か、改めて考えさせられる。
 描かれるのは著名人から市井の人までさまざま。研究者や作家、編集者などは錚々(そうそう)たる顔ぶれだが、主に伝わってくるのは名前や肩書をはぎとったやわらかな部分だ。眼差(まなざ)し、しぐさ、声の抑揚、後ろ姿。ときには「瞳の奥の悲しみ」まで伝わり、その人が眼前にいるかのような臨場感に心を動かされる。
 たとえば次のものは、作家山田風太郎の家を仲間たちと訪問し、手土産のスイカをみんなで食べたときの回想だ。
「そのときだけ一瞬、煙草(たばこ)を手放した風太郎さんがスイカにむしゃぶりつきながら、/『塩、ここにある』/といわれたのが、なんかとてもやさしくしみた」
 口に入れたまま短く喋(しゃべ)る風太郎さんがいい。スイカに夢中でありながら一方で来客を気遣っていることがわかり、温かい気持ちになる。それにしてもなんて瑞々(みずみず)しくて美味(おい)しそうなスイカなのだろう。
 人物描写が連れてくる懐かしい情景も随所にある。伝説の額縁屋浅田良助についての話のなかに、浅田亡き後、「夏になっても炬燵(こたつ)に入って暮らしている」老婦人が出てくる。その姿が「往来から見えた」という著者の視線に親しみを覚えた。たしかに昭和の頃は他人の暮らしが外から丸見えになっていることがあった。今はそういう無防備な家が減ったのか、それとも、見てもすぐに目を逸(そ)らすようになったのか。いずれにしてもあまり記憶に残らなくなった。
 コロナ禍以前がずいぶんと昔のことに感じられ、せつない気持ちにもなった。飲み会の後の路上での取っ組みあいの喧嘩(けんか)、それを目を輝かせて観戦する人−。人と人が団子のようにくっついていた頃の熱を持つ本書は、一方で、身体的な近さだけが人を繋ぐものではないと伝えている。
(羽鳥書店・2420円)
1954年生まれ。作家。『鴎外の坂』で芸術選奨文部大臣新人賞。著書『子規の音』など。

◆もう1冊

森まゆみ著『わたしはわたしよ 明治快女伝』(文春文庫)

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