川崎の町工場から再生エネルギー100%へ 社長が「脱原発」に挑むわけ<あの日から・福島原発事故10年>

2021年2月6日 18時11分

最新のレーザー加工機(後方)や電力量を監視するタブレットなどを使用し、省電力に取り組む日崎工業の三瓶修社長=川崎市川崎区で

 川崎市の町工場が、使用電力の再生可能エネルギー100%転換に取り組んでいる。両親が福島県出身の三瓶修社長(55)が営む「日崎工業」。2011年の東京電力福島第一原発事故により古里から人が消えたことが、再生エネに取り組む原点となっている。「中小企業からの『脱原発』を提案したい」と見据える。(安藤恭子)

再エネ100宣言 RE Action 事業で使う電気全量を再生可能エネルギー由来に切り替えることを目指し、中小企業などが2019年10月に設立した活動体。遅くとも50年までに使用電力を再エネに切り替える目標や、毎年の再エネ率の公表が求められる。2月1日現在、参加企業・団体は105。神奈川県やさいたま市なども名を連ねる。再エネ電気を販売する電力会社への切り替えや太陽光発電導入などで、今年3月末までに14企業・団体が再エネ100%を実現する見通し。

◆父から受け継いだ直後に東日本大震災発生

水銀灯に代わり、工場内を照らすLED。省電力だけでなく、作業場に届く光の量も多い

 従業員25人の同社は鉄道の案内板など大型金属加工を得意とする。三瓶社長が父親から会社を受け継いで間もなく、東日本大震災が発生。11年度の売上高はピーク時の半分の約3億円に落ち込んだ。
 経費削減のため、工場内54の水銀灯を発光ダイオード(LED)化すると「手元が明るくなり、省エネと安全性を両方実現できた」。そこから屋根の遮熱塗装、太陽光パネル設置など次々に省電力化を図った。その取り組みを企業の集まりで伝え、今や「再エネおたく」を自称する。

◆両親が福島第一原発の隣町出身

日崎工業の三瓶修社長

 三瓶社長の父母は富岡町と浪江町の出身で、いずれも福島第一原発の隣町。子どものころから盆と正月に帰る温かな古里だったが、事故後は親族も散りぢりになった。高齢の両親に代わり14年から墓参を重ねる。「除染は進んでも、窓が破れたままの建物を見ると多くの人が帰れないと痛感する」。古里を奪った放射能の恐ろしさを感じた。
 「自分が使う電力を再エネに置き換えたい」。最近の5年間で環境設備に投じた費用は、老朽機器の更新も含め2億円。好天の日は、屋根に張った163枚の太陽光パネルで工場電力の半分をまかなう。20年度は14年度比で二酸化炭素(CO2)排出量を6割削減。年間の電気代も約470万円減る見通しだ。

◆太陽光パネル装備のキャンピングカー開発へ

 費用回収には何十年もかかる計算だが、県の補助金も得て工夫している。太陽光パネル装備のキャンピングカーなどの開発に着手し、製品面でも再エネの可能性を追求している。

◆人が消えた古里の事故を忘れてほしくない

 3・11から間もなく10年。「原発ゼロは今のエネルギー構成の中では難しいというが、福島の事故を忘れてほしくない。自分が目指すのは『脱炭素』で『脱原発』」という。
 昨年、使用電力の再エネ100%転換を目指す「再エネ100宣言 RE Action(アールイーアクション)」への参加も表明。30年を日崎工業の目標年に定める。「やってみたいのは、送電網から独立し、地産地消の再エネだけでまかなう『完全オフグリッド(電力の自給自足)』。自分が現役でいられるうちに実現したい」

おすすめ情報

東日本大震災・福島原発事故の新着

記事一覧