本心<2>

2019年9月7日 02時00分

プロローグ

 それとも、今日の愛もまた、昨日とは同じでなく、明日にはもう失われてしまっているのだろうか?
 だからこそ、尊いのだと、あなたは言うだろうか。

第一章 再生

「――母を作ってほしいんです。」
 担当者と向き合って座ると、たった数秒の沈黙に耐えられず、僕の方から、そう口を開いた。
 もっと他に言いようがあったのかもしれない。当の僕自身が、言った先から、その不可能な単語の組み合わせに恥じ入り、意気沮喪(いきそそう)したのだから。
 メールで既に、希望は伝えてあったので、確認程度のつもりだった。しかし僕は、途中で涙ぐんでしまった。たったそれだけのことさえ、言い果(おお)せることが出来ずに。
 なぜかはわからない。母を亡くして、半年間堪(こら)えていた寂しさが、溢(あふ)れ出してしまったのだろうが、その挙(あ)げ句がこれかと、惨めな気持ちがないわけでもなかった。
 それに、単純に、おかしかったのだとも思う。――おかしくて泣いて悪い理由があるだろうか?
 僕は丁度(ちょうど)、二十九歳になったところだった。
 僕と母は、どちらかが死ねば、残された方は一人になるという、二人だけの家族だった。
 もう母は存在しない。その一事を考えれば考えるほど、僕は、この世界そのものの変質に当惑した。
 簡単なことが、色々とわからなくなった。例えば、なぜ法律を守らなければならないのか、とか。……
 用心していても、孤独は日々、からだの方々に空いた隙間から、冷たく浸透してきた。僕は慌てて、誰にも覚(さと)られないように、その孔(あな)を手で塞(ふさ)いだ。
 僕たちを知る人は多くはなかったが、誰からも仲の良い親子だと見られていたし、僕は母親思いの、心の優しい青年だという評判だった。
(平野啓一郎・作、菅実花・画)
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