市民と同じ空眺め 茨城・日立市の「天気相談所」

2020年3月21日 02時00分

市役所の屋上で目視観測をする日立市天気相談所の池田恵介さん=茨城県日立市で

 午前九時、茨城県日立市役所の屋上。「天気相談所」の池田恵介さん(42)は空を見上げていた。手にした用紙に雲の量や種類、水平方向に見渡せる距離を書き込んでいく。
 日立市は全国で唯一、独自に地元の天気を発表しており、池田さんはその職員。「前線が抜けたので、今日は視界もいいですね」。太平洋が広がる東の空をまぶしそうに見上げた。
 観測記録をつけ終えると、四階の事務室へ。市内七カ所で観測した気温や風速などのデータと突き合わせ、午前九時と午後四時の二回、天気予報を作成し、ホームページやスマートフォンのアプリを通じて発表する。
 「午後の天気はどうですか」。電話の問い合わせに「今日は、夕方から雨が降りそうですよ」と答える。常連さんの声。以前、工事の音が漏れ聞こえたことがあるので作業現場の関係者のようだ。
 「今日は洗濯物を干しても大丈夫?」「運動会の日の天気は?」。電話の問い合わせは年間千件以上。土曜や休日も観測し、正午の天気を発表する。同じルーティンは、池田さんを含め気象予報士の資格を持つ四人の市職員が交代で三百六十五日続けている。
 「先輩たちが続けてきた観測。一日も休むわけにはいかないんですよ」。明治時代末期、日立鉱山の煙害を防ぐ目的で始まった気象観測。大正、昭和、平成、そして令和。「市民の命と暮らしを守る」。そのDNAは、四人の男たちが引き継いでいる。 (布施谷航)

◆始まりは大気汚染

煙害防止のために建てられた大煙突と日立市の街並み。大煙突はかつて156メートルあったが、倒壊して今は3分の1が残る

 気象衛星が宇宙から「神の目」のように、地上をつぶさに観測する現代。天気相談所の職員たちもデータは重視するが、それでも予報を決めるのに目視の観測は欠かせないという。
 ある日、気象庁が「関東南岸を低気圧が通過し、関東は曇りがちで雨が降る」と予報した。しかし、いつものように市役所屋上で観測していた池田恵介さんは、太平洋側から広がってくるはずの雲が見えないことに気付いた。低気圧が迫ってくる時に感じるはずの北東の風も弱い。気象庁の予報ほど低気圧は近づかないと考え、「晴れ」と発表した。
 ビッグデータの時代でも、ピンポイントの予報はまだ発展途上。「人の目」の力は、あなどれない。
 日立市で気象観測が始まったのは一九〇九(明治四十二)年。日立鉱山で銅を精錬する際に発生する有害な亜硫酸ガスが、市民を苦しめていた。翌年、神峰(かみね)山の山頂に観測所が設けられた。一四(大正三)年には、空高くからガスを拡散しようと、当時としては世界一の高さ百五十六メートルの大煙突が建てられた。
 時は移り五一(昭和二十六)年、煙から亜硫酸ガスを回収する装置が開発されると、観測の必要性はなくなった。しかし、「これまで取り続けてきた天候データを中断するのはもったいない」と、水戸地方気象台が継続を要請。翌五二年に全国初の市立天気相談所が誕生した。
 予報を出す人は、気象予報士の資格が必要だ。池田さんは学生時代に難関の国家試験に合格し、天気相談所で働こうと日立市役所に入った。市役所には予報士を目指す職員の勉強会もある。「見学に来る中学生からも、予報士を目指す子が出てくれれば」。次の世代へのバトンの受け渡しも、視野に入れている。

◆暮らしの近くで

毎日の天気予報を日立市民に届ける天気相談所の(左から)池田恵介さん、川辺智一さん、榎本昇平さん、天下井(あまがい)大造さん

 「そういえば、これほど空を見上げることはなかったな」
 天気相談所の最年少職員、川辺智一さん(38)は空を見上げてぽつりと漏らした。幼いころから天気に興味を抱き、大学では気象学を専攻。大学院にも進み、民間の気象会社に就職した。
 担当したのは企業を顧客とする部署。スーパーコンピューターがはじき出す結果を、いかに企業の利益につなげ、気象災害による損失を減らすか心掛けていた。モニターに映し出される天気図や風向・風速を知らせる画面。いつしか、空を眺めるのではなく、パソコンモニターを見詰める日々を繰り返すようになった。
 転職のきっかけは、気象予報士を募集していた日立市のホームページ。「日立市の天気相談所の存在は知っていました。身近に天気を必要としている人にもっとふれあえると思って」
 昨年十月、各地に被害をもたらした台風19号が日立市にも接近した。
 「山の方で大雨が降っている。やばい」。下流の久慈川の水量が異常な速さで増していた。
 日立市に最接近した十二~十三日は、二時間おきに開かれた防災対策本部に出席。天気相談所の先輩をはじめ、市の幹部から「市民の命に直結する情報を扱っている」という緊張感がひしひしと伝わってきた。台風が過ぎ去り、市内に大きな被害はなく対策本部は解散。どっと疲れが襲ってきた。
 市民と向き合い、時にはケーブルテレビに出演して、気象の知識を伝えている。防災講座で講師を務めた時は「テレビで見ましたよ」と声をかけられた。
 災害時は緊張感に押しつぶされそうにもなるが、「日立の人たちと、同じ空を見上げていると実感できるんです」と照れくさそうに話した。

◆「不要論」に負けず

現在は防災無線局として使われる神峰山の旧観測所

 「他の市町村にはない部署だよね」。池田さんは、同僚の職員からそんな言葉をかけられたことがある。「『なくてもやっていける』という意味。天気相談所は必要ないと考えている人もいるんでしょう」と苦笑する。
 かつては東京都八王子市も独自に天気予報を発表していたが、自治体では今や日立市が全国唯一となった。
 日立市でも「不要論」が顔を出すことがある。二〇一七年に竣工(しゅんこう)した市庁舎は、当初計画では天気相談所が配置されていなかった。池田さんは慌てて相談所の重要性を文書にまとめて市長へ送った。
 「空の様子を常に観察していると、災害時に大きな効果がある」
 〇三年まで所長を務めたOBの冨岡啓行さん(77)=写真=は力説する。近年、気象災害に注目が集まる中、気象庁も一六年から自治体に気象予報士を派遣するモデル事業を実施。現在は、気象予報士が災害時に自治体へアドバイスする気象防災アドバイザー制度に引き継がれている。日立市は一九五二年に天気相談所を設置してから七十年近く。冨岡さんは「日立は全国でも先頭を走っている」と強調する。
 天気相談所が最も注目される時期が、今年もやってきた。市内の中心部、平和通りの桜の開花予想だ。百二十本のソメイヨシノがつくる桜のトンネルを市民が楽しむ。今年は「例年より早い今月二十一日ごろに開花し、二十八日ごろに満開」と予報した。
 「市役所の中はもちろん、市民にもアピールしていかなくては」と池田さん。雨の日も晴れの日も、天気相談所は市民の生活に根ざしていく。 (文・布施谷航/写真・安江実)

関連キーワード

PR情報

にっぽんルポの最新ニュース

記事一覧