「家族」の命の恩人 東京・荒川 「おもちゃの病院」

2020年2月15日 02時00分

おもちゃの病院から退院するおしゃべり人形「ユメ」を迎えに来た夫婦(左の2人)と、ユメを治療したドクターの粂谷さん=東京都荒川区南千住で

 「家族」の手術が成功したという吉報をもらった東京都足立区の男性(87)は、妻とともに病院に駆けつけた。
 「ユメちゃん、元気になって本当によかった…。お帰り」。毛糸の帽子とセーターを着た幼いユメの姿を確認すると、二人は胸をなで下ろした。ユメはまぶたが閉じにくくなり、治療のため入院していた。
 男性が頭をなでると、ユメはパチパチとまばたきし、「お歌を歌おうかな」と甲高い声を上げて童謡を歌い始めた。「うちの子、よくしゃべるのよ」。妻は、一人で話し続けるユメを見て笑う。よく見ると、ユメの両手の白い手袋は所々黒ずんでいる。これまで二人が何度となく手を握り、愛情をそそいできた証しなのだろう。
 ユメが家族になったのは八年前。夫婦二人で暮らす中で、家を明るくした。男性は毎日、抱いて眠るのが習慣になった。本当の子や孫らは遠方に住む。「この子は孫同然。服も思い出もたくさんあり、代わりはいない」。二人は完治したユメを大切に抱きかかえ、何度も礼を言って帰っていった。
 「孫や子どもの代わりにかわいがっている『話す人形』を持ってくる高齢夫婦が増えています」。現代の家族の形を映す現象だと、ユメを担当したドクターの粂谷(くめや)誠さん(69)=板橋区=は感じている。
 ここは荒川区南千住で毎週水曜日に開くおもちゃの病院。思い出の詰まった玩具を直すため、ボランティアドクターたちが奮闘している。 (天田優里)

ボランティアのドクターらで運営されている「おもちゃの病院」=東京都荒川区南千住で

◆喜び お金で買えない

 東京都荒川区の「おもちゃの病院」のドクターは男女十人で、定年退職後に参加する人が大半だ。おもちゃの完治率は95%以上。依頼する側からすれば、一回百円で直してくれるのは家計にもありがたい。一方、無償で働くドクターにとっては、お金以上のどんな価値があるのか。
 「大切なおもちゃが壊れるのは家族の一大事。なんとしてでも直したいと気合が入る」。リーダー格の粂谷(くめや)誠さん(69)=板橋区=は、動きが悪くなったプラモデルをいじりながら言う。ドクター歴二十年の古株。定年退職後の時間を有意義に使うため、メーカー勤務の会社員時代から始めた。
 最初は不安ばかりだった。修理するため分解しても、原因を見誤ると手が付けられなくなる。依頼者から「頼まなきゃ良かった」と言われたことも。その反省から経験を積み、最近はすぐに当たりが付けられるようになった。直ったおもちゃを見て喜ぶ親子の「ありがとう」が、何よりうれしいという。
 ラグビーワールドカップ日本代表のように「ワンチーム」となれる喜びも、お金では買えない。「難病のおもちゃに対してみんなで知恵を出し合い、一丸で取り組むのが楽しい」。ドクター歴九年の日比野信一さん(75)=東京都狛江市=は話しながら、モーターの汚れをブラシで落としていく。
 ドクターは黙々と修理するかと思いきや、学生サークルのようににぎやかだ。時折、数人がおもちゃを取り囲む。修理の道筋を立てる作戦会議。互いにアイデアを出し合い、次の一手を相談する。「よし、それでいこう」。全員一致で方針が固まると、それぞれの作業に戻っていった。「けんかなんか、したことない。同じ目標に向かう仲間ですから」と日比野さん。やはり、チームの絆は強い。

◆オペはアイデア勝負

3Dプリンターで製造した部品を説明する田中さん

 病院の作業部屋の奥には、「プラ板」「マイク」などと書かれた棚がある。引き出しを開けて中をのぞくと、形や色の違うパーツや部品がごっそり入っていた。
 「これは宝物だよ」。不思議に思っていると、プラモデルを直していたドクターの木村正雄さん(71)=埼玉県川口市=がそっと教えてくれた。修理で代替用の部品が必要になっても、適合する物が見つからないことが多い。メーカーは交換業務はしておらず、秋葉原などの量販店でも探しづらい。そこで、リサイクルできる部品をストックしておき、他のおもちゃの修理に利用しているという。都内の別の病院から提供を求める依頼があるほどで、「ここまで量や種類がそろっているところは他にない」と木村さんは言う。
 ドクターの中には「合う部品がないなら、作っちゃおう」というつわものも。元中学教師で理科を教えていた田中啓(あきら)さん(67)=埼玉県川口市=は、立体物を造成する機器「3Dプリンター」を自費で購入。部品をプリンターでコピー製造している。夜、寝ていてひらめいたそうだ。
 特に、ひび割れると使えないプラモデルのパーツにプリンターは有効という。実際にコピーを見せてもらうと、素材のせいかすべてオレンジ色だが、物自体は本物と遜色ない。製造時間は小さいもので三十分ほどで、安価でできる。複雑な構造の部品はパーツごとに作り、後で組み合わせるのがコツだそうだ。
 時代の流れとともに、おもちゃはどんどん高度になっている。複雑なプログラムだと、手が出ないことも多い。ただ、「技術の進歩で直せるおもちゃも出てきた。すべてはアイデア勝負です」。田中さんの笑顔とオレンジ色のパーツがまぶしかった。

おもちゃの部品はストックされ、他のおもちゃ修理に利用される

◆20年つないだバトン

修理で直ったダンプカーのおもちゃを手に、笑顔を浮かべる2歳の村田充ちゃん

 病院が始まる水曜午前十時を過ぎると、親子連れや夫婦らが受付前に列をつくった。修理申込書に必要事項を記載する間に、ドクターがおもちゃを触診。たいてい、電池切れのような「神経外科」や体が壊れた「整形外科」の大きく二つに分かれる。原因がすぐ判明するおもちゃもいれば、手術が必要で入院するものも多い。
 「おばあちゃんからの贈り物なんですけど…」。荒川区の主婦村田萌子さん(33)は長男充ちゃん(2つ)とダンプカーのおもちゃを持って訪れた。荷台を固定する爪が折れたらしい。ドクターが接着して完治すると、それまでシュンとしていた充ちゃんの目が輝き、笑顔を見せた。
 夫婦で訪れた同区の会社員小林裕子さん(34)も、祖父からもらった長女(2つ)のピアノのおもちゃを持参した。動かなくなった原因は、電池端子のサビと判明。やすりでこすると音が鳴り、「直った!」と歓喜の声を上げた。そんな光景が、病院が閉まる午後二時半まで繰り返される。
 「病院の設立は、もともと二人のボランティアのおかげ」。当時を知る区社協支援員の西川正美さん(69)は振り返る。きっかけは、障害のある子らがおもちゃで遊ぶ「荒川おもちゃ図書館」だった。別の病院でドクターをしていた北村正一さん(故人)が一九九五年から月一回、図書館のおもちゃを直すようになり、住民の小林保男さん(90)が続いた。次第にドクターの数が増え、図書館が現在の場所に移転した二〇〇〇年、正式にスタート。「今では定年後の高齢者の居場所としても重要になっている」と西川さんは言う。
 たった二人から始まった善意のリレー。そのバトンは二十年たっても途切れることなく、多くの人の手でつながり続けている。

関連キーワード

PR情報

にっぽんルポの最新ニュース

記事一覧