旧満州の記録つなぐ 一家で通化事件に遭遇 松戸の古宮さん、父の遺稿を出版

2021年2月8日 07時10分

原稿用紙271枚にも及んだ父の遺稿に目を通す古宮さん

 戦後の旧満州(現中国東北部)で多くの日本人が犠牲になった通化事件から3日で75年がたった。両親と弟の一家4人で事件に遭遇した松戸市の古宮保子さん(83)は「悲劇を繰り返さないためにも、語り継ぐ必要がある」と、亡き父が書き残した人生の歩みを1冊の本にした。 (牧田幸夫)
 本のタイトルは「大陸に新天地を求める 父の生きた記録 悲劇の通化事件にも遭遇」(新風書房)。一九八四年に八十三歳で亡くなった父、吉永重夫さんが自身の半生を記した原稿用紙二百七十一枚に及ぶ遺稿をほぼ原文のまま世に出した。
 内容は、生い立ちから始まり、教師を経て三十八歳で満州に渡り商社に就職。石炭配給の仕事に就き、支配人として終戦の日に赴任した通化市(現吉林省通化市)で事件に遭う。その後、命からがら日本に引き揚げたことなど激動の人生を八つの章で構成。古宮さんは「特に通化事件や引き揚げの記録は、私も記憶があり、後世に伝えたいと思った」と話す。
 通化事件は終戦から半年後の四六年二月三日、旧日本軍の一部が武装蜂起したが、鎮圧され、一般市民を含む日本人が中国共産党軍などに殺害された。犠牲者は二千人とも三千人ともいわれる。
 古宮さんは当時八歳だったが、恐怖の記憶は鮮明だ。「朝早くいきなり家の中に銃弾が撃ち込まれ、必死に身を隠したのを覚えています。父ら男の人たちは連行され、その後、家の中のものはすべて奪われ、畳も持って行かれた」
 通化事件の記述について古宮さんは「父は感情的にならず、論理的に数字を使って記録を残していた」と感心する。
 中国共産党軍は事件後、日本人の身元を再調査し適格者に交付する「良民証」を新しくした。吉永さんは通化の日本人の数を知ろうと、申請書を期限ぎりぎりに提出し、四千八百番台だった。事件前の一月中旬に六千番台の交付を受けていたことから「日系人の犠牲者千二百人は間違いないようだ」と記している。
 古宮さんは一九年まで東日本大震災復興支援松戸・東北交流プロジェクトの代表を務めた。被災者支援に尽力してきたのも「満州での体験や引き揚げの記憶が背中を押した」という。戦争の語り部が年々減っていく中「父の記録集が私的なものから公的なものになってほしい」と願う。
 本についての問い合わせは新風書房=電06(6768)4600=へ。

通化事件から75年に合わせて出版された故吉永重夫さんの遺稿=いずれも松戸市で


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