身の処し方について

2021年2月8日 07時33分
 どんなに輝かしい才能を持った人も、企業などでなくてはならない人も、心身の衰えを免れることはできない。なおも戦い続けるか、潔く身をひくか。その判断は人それぞれ。人生百年時代で人生設計が問われている今、身の処し方を考える。

<引退か現役か> 年が改まる前、多くのスポーツ選手が引退(表明)をした。今回登場していただいた元中日の吉見一起さんのほか、元阪神の藤川球児さん、サッカー元川崎の中村憲剛さん、ラグビーの五郎丸歩さん、人ではないが競馬のアーモンドアイも。一方、サッカーの三浦知良選手(53)は現役を続行。プロ野球でも最年長の福留孝介選手(43)が今季、中日に復帰し、意欲を燃やしている。

◆経験糧に勉強続ける 元中日ドラゴンズ投手・吉見一起さん

 引退について考え始めたのは昨年九月の登板の後です。まだ野球を続けたいという気持ちはありました。でも、自分の立ち位置を俯瞰(ふかん)してみたとき、続けても同じことを繰り返すだろうなと思いました。それなら、次のステップに進もう。そう考えるようになりました。
 妻に相談し、最後は自分で決めました。三人の息子たちには「なんで」と聞かれましたが、きちんと説明したら「分かった」と理解してくれました。後で聞いたら、本心は寂しかったそうですけどね。息子たちからは、その後、手紙をもらいました。「ぼくたちはパパの力になりましたか」。そんなことが書いてありました。
 十一月六日の引退登板では、捕手に「外だけでいいよ」と言ってマウンドに登りました。初球は恐る恐る入ったんですけど、あとの三球は狙ったところに、意図したボールをしっかり投げられました。捕手は、投げやすい構え方をして、上手に捕球してくれました。
 僕は、自分がエースだと思ったことはありません。ただ、大事な試合では自分が投げるという思いはありました。客観的にみてエースの条件は何か、というと、まず大事な試合を任せられること。皆から尊敬され、手本になることも必要です。人間性も大切ですね。
 入団会見で僕は「一年でも一日でも長く野球をしたい」と発言しましたが、実際にプロの世界に飛び込んでみると、周りはすごい投手ばかり。そこに割って入る自信がなく、すぐに首になるだろうと思いました。
 十五年間続けることができたのは、運も良かったし、いい出会いがあったからです。プロとしての十五年間をこれからの人生に生かしていければいいなと思っています。
 今後は野球解説者・評論家として、外から野球を見て感じたこと、自分の経験を分かりやすく伝えていきたいと思っています。トヨタ自動車野球部のテクニカルアドバイザーにも就任しました。技術だけでなく、メンタル面も含め、プロで学んだことを伝えていくつもりです。
 将来は指導者としてユニホームを着たいという気持ちがあります。未来には未来の野球があります。自分のときはこうだったという話は通用しません。時代に遅れないよう勉強していきたいと考えています。
 (聞き手・越智俊至)

<よしみ・かずき> 1984年生まれ、京都府出身。金光大阪高、トヨタ自動車を経て2006年に中日ドラゴンズ入団。エースとして黄金期を支え、昨季限りで引退。最多勝2回。通算90勝56敗。

◆「一個人」で社会参加を INAX(現LIXIL)元社長・伊奈輝三さん

 INAXの創業者の子どもとして生まれ、四十二歳で当然のように従業員三千数百人の会社の社長になりました。十六年間社長を務め、五十八歳で姻戚関係のない社員に社長を引き継ぎました。記者さんから「どうしてそんなに早く辞めるのですか?」と聞かれ「早く辞めるのは早く就任したからですよ」と冗談めかして答えましたが、実は前から決めていたことです。
 世間には、組織のトップが同じ職に長くとどまる弊害について考えさせられるような事例が数多くあります。細川護熙元首相が熊本県知事を二期八年で辞める時に言われた「権不十年(栄華も十年は続かない)」という言葉が私の心にありました。
 実際、企業理念に「変化と挑戦」を掲げて常に革新を続ける会社づくりを推進してきたつもりが、やはり長く続けていると一人の人間の発想には限界があると自分でも気づくようになりました。六十歳で社長を辞めよう、七十歳までには業界や地域の役職もすべて辞め、残る人生は何かの組織の恩恵も制約もない、何の肩書もない一個人として過ごそう。そう決意しました。父も同じ考えでしたが、会社は公器であり私すべきではない。子どもに無理に継がせることもしませんでした。
 肩書のない身になっても社会とのつながりは持ち続けたいとも思っていました。七十歳で常滑商工会議所会頭を辞し同時に一切の公職を辞しましたが、その二年前に地元の愛知県常滑市に中部国際空港が開港したのを機に、案内ボランティアとして活動することにしました。
 長年、組織のトップとして仕事をしてきた私にとって、老若男女のボランティアが同じ立場で自主的に協力して仕事をするという体験は実に新鮮で、すがすがしいものでした。毎日の予定が決まっていたそれまでとは異なり、見ず知らずの人のお手伝いをする仕事は予測のつかないわくわく感がありました。現在はボランティア活動は休止中ですが、時々空港に行っては現状の把握に努めています。
 たとえ組織に属していなくても一個人としてその年齢、能力、体力などに応じて社会との関わり合いを持ち続けることは、今の時代いくらでも道はあるのではないかと思います。一人の人間として社会とのつながりに関しては「生涯現役」でいたいと思っています。
 (聞き手・大森雅弥)

<いな・てるぞう> 1937年、愛知県生まれ。80年から96年までINAX(現LIXIL)社長。98年から2007年まで常滑商工会議所(同県常滑市)会頭。全国タイル業協会会長なども歴任。

◆「生涯現役」推進したい 日本生涯現役推進協議会代表・東滝邦次さん

 四十代の頃、勤めていた会社で尊敬していた上司が定年退職のあいさつに来た時の後ろ姿があまりに寂しく、驚きました。「今までやってきた仕事を定年後に生かすつもりはないのか。残念だな」と感じ、同じようになったら大変だと思いました。当時は五十五歳定年でしたが、五十歳を自己定年と定めて早期退職。「生涯現役」を掲げて会社や団体を立ち上げ、交流会やセミナーを開くなど実践家の支援をしてきました。
 仕事でもボランティア活動でも、生涯現役とは「自分の生きがいが世の中に役立っていること」だと、とらえています。三十年以上活動してきましたが、当初思っていたほどは実践家が増えていないというのが実感です。やはり、自ら律して取り組める、自分の哲学がしっかりした人でないと続きません。
 家族が過剰に心配してストップをかけてしまうことも多いです。後悔するにしても、やらなければ何も残りませんが、やれば何かは身に付くことがあります。まずは家族にそうした考え方をしっかり示して、理解を得ていくことが必要でしょう。
 私の信念は「終わりよければ全て良し」です。引退するとすれば、よほど体力が衰え、ギブアップしないと家族や周囲の人たちに迷惑をかけるようになった時。引き際も「さすが、あの人らしい」と言われるようでないといけないし、皆が子どもたちにそういう後ろ姿を見せていってほしいです。
 こんなことを言っていると、「ずっと働かせて税金をとるのか」と反発する人もいます。でも、現役でいた方が面白いし、クリエーティブな活動を続けていくことで、社会にも付加価値が生まれると思います。
 企業でも、既に生涯現役の雇用体制を打ち出しているところはあります。従業員が年齢相応にずっと本気で取り組める課題を見つけられるよう誘導できれば、その企業の将来像は明るいものになるでしょう。
 社会の高齢化は日本だけでなく、世界に広がっている課題です。生涯現役は、日本が「先進国」として推進していくべきテーマではないでしょうか。
 ただ、本当の引退とは、命が消えること。仕事を辞めるにしても、現役を続けるにしても、まずは皆が自分自身の人生を粗末にしない考え方をもつ社会になってほしいと願っています。 (聞き手・清水祐樹)

<ひがしたき・くにじ> 1935年、香川県生まれ。84年に証券会社を早期退職。会社やNPO法人を設立し、生涯現役の実践支援に取り組む。2004年に日本生涯現役推進協議会を創設。


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