サハリンから初めて「故郷に」 耳不自由な75歳「私は日本人」

2019年10月26日 02時00分

サハリンから到着し、出迎えた支援者に駆け寄る平沼ニコライさん(右)=18日、成田空港で

 「日本人だという高齢ろう者が初めてロシア・サハリンから来ます」。こんな便りがNPO法人日本サハリン協会(東京)から寄せられた。先の大戦の残留邦人と察せられたが、なぜ戦後75年近く帰還がかなわなかったのか。取材に赴くと、父祖の地に焦がれ、寄る辺ない思いで生きてきた男性の姿があった。 (小柳悠志)
 十八日、サハリンから平沼ニコライさん(75)が成田空港に降り立った。節くれ立った指が、缶詰工場や土木現場で働いてきた半生を物語る。訪日実現を支援してきた手話交流のNPO法人UPTAIN(アップティン)(東京)の役員と抱擁を交わすと手話で喜びを爆発させた。「ついに故郷の地を踏めた」
 日本領だった南サハリン(樺太)で終戦間際に生まれた。幼いころから耳が聞こえなかった。三歳で実父を亡くすと母は「ムン」と名乗る朝鮮半島出身者と再婚した。十二歳でろう学校に通い始めたころ、自宅で出生に係るとみられる文書を見た記憶がある。ロシア語で「ヒラヌマ 日本」とあった。
 自分の耳が不自由なせいで親との意思疎通ができず母と亡父の出自も分からない。継父との関係も良くなかった。級友から「おまえは何人(なにじん)だ」とあざけられるのが悲しくて悔しくて。「自分は日本の平沼なんだ」と言い聞かせてきた。
 一九九八年、姓を「ムン」から「平沼」に変更するよう届け出て、当局に認められたという。ただ日本への道のりは険しかった。
 敗戦後、サハリンに約四十万人いた日本人の多くは段階的に引き揚げた。終戦までの三十五年間、朝鮮半島は日本の統治下で、サハリンには各地から連行された朝鮮半島出身者が四万人ほど住んでいた。日本風の姓を名乗った人も多い。だが終戦後、日本国籍が外され、三万人余りは取り残された。
 北朝鮮への引き揚げは認められたが、三八度線以南の出身が多く希望者は少なかったという。八〇年代後半、日本の超党派国会議員によってサハリン残留韓国・朝鮮人の帰郷を支援する動きも始まったが、ろう者の平沼さんは情報が得られず、取り残されていた。
 実父母に関する資料がない中で、平沼さんのルーツを特定するのも難しい。
 今回、UPTAINのメンバーと知り合い訪日がかなった平沼さん。機上で日本の海岸線を見ただけで涙がこぼれた。二十九日までの滞在中、元サハリン在留邦人らと交流し、出自の手掛かりを探す。「自分が何者か知りたい。心当たりのある親戚がいるなら名乗り出てほしい」と願う。
 問い合わせはメールで、UPTAIN=npo.uptain@gmail.com

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