<ふくしまの10年・詩が生まれるとき>(13)被害を伝えたいんだ

2021年2月11日 08時03分
 亡くなった人への鎮魂「詩ノ黙礼」を一カ月半ツイッターで書き続けた後、和合亮一さん(52)は二〇一一年五月二十五日に「詩の礫(つぶて)」を再開した。この日は原発から二十キロ圏内の福島県南相馬市と富岡町の住民が、初めて一時帰宅した日だった。家にいるのが許された二時間、泣いただけで戻ってきた人もいた。
 震災後、頭に浮かぶ言葉を次々投稿した「詩の礫」は、他の詩人や評論家から「これは詩ではない」「詩の被災だ」「詩のだだ漏れ」「人の不幸を題材にした稚拙な作品」などと酷評された。「震災を利用して有名になろうとしている」と言う人もいた。一方で文学者らは「もともと技術力のある詩人。そこへ向かう理由が、震災にも和合さんにもあった」と反発。新聞では賛否を並べた特集が組まれた。
 和合さんは深く傷ついたが、これほどのことを経験して今、書かなかったらいつ書くんだと思った。以前は一、二カ月で書いた詩を即興で次々発信したり、目の前の震災に絶望や怒りをぶつけたり、作風は変わったかもしれない。でもどんなことを言われようと詩を書こうと思った。
 そんな時、福島市の小学校五年生の男子児童の作文に出会う。原発事故の問題は、自分がお父さんやおじいちゃんになっても解決しない。だから先の世代の子に教えるため、今勉強したいとつづっていた。和合さんははっとした。これだけの被害にあったことを、自分は福島の人間として伝えたいんだと気付く。技法や作風ではない。自分の総力を挙げ、この震災を書こうと思った。
 ◇ご意見はfukushima10@tokyo-np.co.jpへ

関連キーワード


おすすめ情報

ふくしまの10年の新着

記事一覧