目指すは西川流ホールディングス 右近総師亡きあとに 四世家元・千雅に聞く

2021年2月12日 07時46分

「西川流や名古屋をどりには万能性がある」と話す西川千雅四世家元=名古屋市の中日新聞社で

 名古屋を拠点とする日本舞踊西川流の西川右近総師(そうし)が昨年十二月、八十一歳で亡くなった。二〇一四年に三世家元を退いてからも総師として舞台に立ち続け、流派や日舞の発展に努めてきた大黒柱。長男で四世家元の千雅(かずまさ)(51)に、その足跡を振り返ってもらいながら流派の今後について聞いた。 (聞き手・小原健太)
 −総師とはどのような立場でしょうか。
 本人は総責任者だと言っていました。普段の稽古は私が見ますが、発表会の直前など、ここぞというときには稽古場に来ていました。
 「生きている間に家元を継承できて良かった」と父はよく言っていました。父は祖父の二代目鯉三郎が亡くなったことで家元を引き継ぎましたが、すぐに家元らしくなれるわけではないですからね。一人で大変だったという思いがあったのでしょう。先代は自分にとっての踊りの師匠でもあります。師匠の存在は、心の支えとして大きいです。
 −二代目は約三千曲の舞踊を創作し、踊り手としても非常に高名でした。
 父はずっと大きなプレッシャーと闘ってきたように思います。おそらく亡くなる時まで。けれど父も祖父以上の数の曲を振り付け、本も出版し、日舞の所作にスポーツ科学を取り入れたエクササイズ「NOSS(ノス)」など誰も考え付かなかったものをつくりました。十分祖父を超えていたのではないかと思います。
 流派を大きく広げた祖父に対して、父は日舞の世界以外の、一般社会との付き合いを大事にしてきました。地元のロータリークラブで経営者たちと関わり、NOSSは科学者と一緒につくり上げました。私は「にっぽんど真ん中祭り」や「やっとかめ文化祭」といった名古屋を盛り上げるイベントで日舞以外の人たちと一緒に企画を進めていますが、それができるのは父の背中を見てきたからだと思います。
 −千雅さんが描く家元像とは。
 家元制度と言えばピラミッド構造が思い浮かびますが、父はそれを逆さにしたこまをイメージしていました。家元が一番動くことでこま全体を回すという考え方です。ただ、長く回っていることで病気で抜ける人が出てくるなどといった面も見えるようになりました。だから私は一度この構造をばらして、平らにしたいと考えています。そして企画ごとに得意な人を集めて、その人たちに引っ張っていってもらう。いうなればファシリテーター型家元です。

「第72回名古屋をどり」で清元「お祭り」で共演する西川右近(右)と千雅=2019年8月、名古屋市の御園座で

◆適材適所で「任せる」

 −「ファシリテーター」とは、ものごとを促進する役割を担う人といった意味ですね。
 演奏が得意な人、着付けができる人など、人材は豊富です。もちろん、流派以外の人にも入ってもらいます。全てを自分でコントロールしようとすると思った通りのものしかできませんが、任せることで意外な新しいものができると考えています。
 目指すところは、「西川流ホールディングス」です。古典舞踊をやるのもいいし、日舞から派生したビジネスや新しいパフォーマンスを披露するのもいい。日本の伝統を出発点とした新しいジャンルを中にいくつも持っているイメージです。
 −コロナ禍で世界中が疲弊しており、伝統芸能の世界も先行き不透明です。
 「伝統」って、昔すごくはやったものだと思うんです。だからこそ(受け継がれて)今も残っている。皆さんが(今の時代に)やりたいことを日本文化を使ってかなえる。西川流がそんな場になればいいと思います。
<西川流> 名古屋西川流ともいい、約4000人の名取を擁する。元禄時代(17世紀後期ごろ)、歌舞伎の囃子(はやし)方でありながら舞踊の才を発揮した西川仙蔵が江戸で創設した宗家西川流の流れをくむ。二代目鯉三郎が1945年の戦後すぐに始めた「名古屋をどり」は名古屋の秋の風物詩として定着した。右近はミュージシャンの岡林信康、俳優の渡辺えりなど異ジャンルのアーティストと共同で創作舞踊劇を数多く発表。80年代には2度の米国公演を実現している。

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