<ふくしまの10年・詩が生まれるとき>(14)フクシマから福島へ

2021年2月12日 07時58分
 「詩の礫(つぶて)」は、震災直後からさまざまな言語に訳され、ツイッターで海外に拡散された。二〇一一年五月、和合亮一さん(52)はオランダでの東日本大震災追悼コンサートに招致された。和合さんは自分が招かれたことを心底驚いた。英語もままならない上、ヨーロッパも初めてだった。
 オランダでも震災のニュースが流れていた。前日の夕食会で和合さんの話の後、日本の駐在大使が声を上げて泣いた。母国への心配や不安、彼の苦しみを感じた。みんなが自国に置き換えて考え、痛みを分かろうとしてくれていた。オランダの人が、福島の町名まで知っているのに驚き、事の重大性を思い知った。
 詩の朗読は日本語ですると決めていた。抑揚、テンポ、リズム…。自分の声一本で勝負しようと、全てを言葉に込めた。終演後、会場にいた人々が「言葉は分からないが、恐怖、悲しみが声から伝わってきた」「生きるエネルギーを感じた」と話すのを聞き、思いが届いたのを実感した。
 その後も各国に呼ばれ、地鳴りがするほどの反響があるなど、言葉の力を感じる一方で、衝撃的なこともあった。フランスでは「FUKUSHIMA」というお好み焼き屋を見た。震災後、福島は「フクシマ」になり、いろいろな意味で有名になってしまったと寂しくなった。福島に帰っても誰にも言えなかった。
 フクシマを福島、地元で言う軟らかい響き「ふぐすま」に戻せるのか。どうしたら子どもたちに福島を残せるのか。切迫した気持ちが、和合さんの中をぐるぐる回った。
 ◇ご意見はfukushima10@tokyo-np.co.jpへ

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