虚子は気づいたか 土屋武之さん

2020年5月26日 02時00分
 1958年に山梨県の下部温泉へ句会に出かけた高浜虚子は、途中、身延線沼久保駅から眺める富士山の美しさに感嘆し、「とある停車場富士の裾野で竹の秋」「ぬま久保で降りる子連れの花の姥」との2句を残した。現在、駅前にはこれを記念した句碑が立てられている。
 東海道線の富士と中央線の甲府を結ぶ身延線は、前身を富士身延鉄道といい、私鉄であった。41年に国有化されたが、開業時からトンネルの断面が国鉄の規格より小さく、パンタグラフの部分を低めるなど、特殊な構造をした車両しか走ることができなかった。
 句が詠まれた時に乗っていたと思われるクモハ14形も、屋根全体を平らに近くする大改造が施された、変わった姿をしていた。横須賀線から転用された電車で、10年から59年に亡くなるまで、疎開していた時期を除き、鎌倉に住み続けていた虚子にとっても、おなじみだったはずだ。けれどもディテールが変わっており、果たして気がついていたかどうか。同行していて、やはり沼久保駅前に句碑がある弟子の堤俳一佳(はいいっか)は下部駅(現在のJR下部温泉駅)の駅長であったから、「この電車は…」と、師の興味を引こうとしたかもしれないが。

関連キーワード

PR情報