翌朝も電車は動いた 土屋武之さん

2020年3月10日 02時00分

谷中墓地から見下ろした現在のJR日暮里駅

 緻密な調査や取材に基づいた記録文学、歴史文学で定評のある作家の吉村昭は、日暮里(荒川区)の出身。東京が空襲に見舞われるようになっても、疎開せずに住み続けていた。回想録「東京の戦争」では、観察眼鋭く、冷静な筆致で、3月10日の東京大空襲と、続く4月13日の空襲で、自宅を含む下町一円が焼失した様子を綴(つづ)った。
 4月13日の空襲で谷中墓地に逃げて命だけは助かった翌朝、日暮里駅を見下ろすと、走る山手線を目撃した場面も、驚きとともに記された。戦争中の日本の鉄道が、被害を受けても数日で運転再開にこぎつけていたことは、各種の記録からも明らか。占領後に使うため、アメリカ軍は鉄道を積極的に攻撃しなかったという説もあるが、直接、線路が破壊されない限り、鉄道は焼夷弾(しょういだん)による火災には案外、強かったらしい。車両は多数、焼損したが、それでも使えるものをかき集め、列車を運転したのだ。
 その裏ではもちろん、鉄道員たちの必死の復旧作業が行われたに違いない。なんとか電車を動かして、被災した住民を助けようという思いが根底にあったのだろう。吉村昭も「鉄道員の規則を忠実に守る姿」という表現で、その姿勢を作品中でたたえている。

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