神谷バーの原点 ワイン王の夢、後世へ 再生!牛久シャトー

2021年2月17日 07時08分

フランス風のレンガ造りが美しいワイン醸造場「牛久シャトー」の本館=いずれも茨城県牛久市で

 日本初のバーとされる台東区浅草の「神谷バー」の創業者、神谷伝兵衛(1856〜1922)は「日本のワイン王」とも言われていた。伝兵衛が創設した国内初の本格的なワイン醸造場が、茨城県牛久市の「牛久シャトー」。約1年前から事実上の市の直営になり、活用しながら残す試みが始まっている。

旧醗酵室はテイスティングルームになる予定

 赤れんがの建物が点在する牛久シャトー敷地内の土産店。神谷バー名物の「デンキブラン」の瓶が並べられていた。運営する牛久シャトー株式会社の川口孝太郎社長(60)が「どちらも神谷伝兵衛の縁がありますから」と話した。

牛久シャトーの復活に意気込む川口孝太郎社長

 商品棚の隣には、伝兵衛が発売した「香竄葡萄酒(こうざんぶどうしゅ)」も。明治時代、ぶどう酒が日本人の食生活になじみがなかったため、ハチミツや漢方薬を加えて売り出したところ、人気商品になったという。
 伝兵衛は、現在の愛知県西尾市生まれの実業家。一八八一年、デンキブランよりも前に、甘くしたぶどう酒の販売を始めた。高価だったため、誰でも飲めるようにと国内醸造を考え、一九〇三年に牛久シャトーを建てた。
 現在、約六万五千平方メートルの敷地に十一棟の建物がある。旧事務室など三棟は、国の重要文化財に指定されている。所有企業の「オエノンホールディングス」(東京都)が、当時の建物を記念館やレストランとして使いながら公開してきた。

香竄葡萄酒のボトル

 しかし、二〇一八年末、存続問題が浮上した。レストランや土産店などが赤字で閉店したためだ。再開を求め、市内外の約三百団体の嘆願書や、約二万五千人の署名が市に寄せられた。
 要望を受けて市は一九年末、オエノンと土地建物の賃貸契約を結び、ほぼ全額出資の運営会社を設立。事実上の直営で再建を目指し始めた。
 収支計画では、年間の運営経費は約四億円。レストランや土産品販売などで三年で赤字解消を見込む。市幹部は「シャトーを残すには、この方法しかなかった」と実現の難しさを認める。
 運営会社の社長を引き受けた川口さんは、オエノンのグループ会社の元社員。〇五年から牛久シャトーの管理を担当してきた。定年を控え、別の企業から好待遇で誘われていたという。
 「サラリーマン生活の最後に、もっと楽な道はあった。でも、ここが中ぶらりんで、どうなるか分からないのは気がかり。知らない人間が急に来ても無理だと思った」と振り返る。

巨大な木樽が並ぶ旧醗酵室

 しかし、直後に新型コロナ禍が起き、逆風の中でのスタートになった。昨年春に予定していたレストランと土産店の再開は六月に延期になった。
 さらに今年一月の緊急事態宣言の再発令で団体客の予約は全部キャンセルに。それでも、三月下旬にバーベキュー場を再開し、オリジナルのワインケーキなども発売する。年内にはワイン醸造と地ビール製造も始める予定で、ネットで募金を集めるクラウドファンディングも進めている。
 川口さんは「歴史と文化の重みがあり、夢のある場所なのは間違いない。税金に頼らず、活用しながら維持し続けることができれば一番いい。文化財を後世に残す先駆的なモデルになれば」と考えている。

牛久シャトーの建物がラベルに描かれているワインボトル

◆千葉市には伝兵衛の元別荘

 千葉市稲毛区には、伝兵衛の別荘だった洋館「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」が残っている。国登録有形文化財に指定され、無料で公開されている。
 ホームページによると、1918年に建てられ、鉄筋コンクリート造りの地上2階地下1階建て。外観では円柱に支えられた5連のアーチが特徴になっている。
 内部は、1階が洋間、2階が和室になっている。ワインにちなみ、1階にはブドウのレリーフがあり、2階の床の間の柱にはブドウの古木が使われている。

千葉市に残る旧神谷伝兵衛稲毛別荘

 文・宮本隆康/写真・嶋邦夫、宮本隆康
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