<ふくしまの10年・伊達東仮設 7年の日々>(5)毎週催し 生きがいに
2021年2月20日 07時31分
狭くプライバシーも限られた仮設住宅での避難生活だったが、悪いことばかりではなかった。
飯舘村民百五十人が避難していた伊達市の伊達東仮設には、芸能人や皇族などが激励に訪れ、仮設自治会としての花見や演芸会、お茶会などの行事も多く、毎週、何らかのイベントがあった。
元酪農家の長谷川健一さん(67)は「借り上げアパートに避難する道もあったけど、ぽつんといたんじゃサポートは受けられなかったな。狭かったが、仮設の良さもあった」と振り返った。
イベントで自らのみそを使った料理を出してきた菅野栄子さん(84)は「守ってきた伝統食品を喜んでもらえる場ができ、うれしかった。全国の方々に助けてもらい、生かされました」と語る。
避難を始めて一年半近くがたった二〇一二年十二月、近くの伊達東小学校の児童を仮設に招いた交流会があった。運動会や発表会のほか、子どもたちに手作りのお手玉をプレゼントし、一緒に遊ぶ企画もあった。
「みなさん。お孫さんと離れてっから、ご自分の孫だと思って接してねー」
仮設管理人の長谷川花子さん(66)の号令で、お手玉三百個の制作が始まった。虫がつかないよう小豆を湯通しし天日に干す人、縫い物をする人…。生き生きと活動する様子を見て、花子さんは「やっぱり、役割を果たしている実感は大切」と確信した。
◇ご意見はfukushima10@tokyo-np.co.jpへ
おすすめ情報