週のはじめに考える 早期に「第3の独立」を

2021年2月21日 07時07分
 ミャンマーの軍事クーデターから三週間。国軍総司令官が全権を握り、国家顧問アウン・サン・スー・チー氏は自宅で軟禁されたままです。即時の釈放を求めますが東南アジアには、独裁政権の弾圧から立ち上がった女性リーダーたちが他にもいます。その活躍にも触れながら、スー・チー氏の来し方を振り返ってみます。

◆「建国の父」の長女

 第二次大戦終結の一九四五年生まれ。「建国の父」と慕われながらも暗殺されたアウン・サン将軍の長女です。英国人学者と結婚して英国で暮らしていた八八年、母親の看病のため帰国します。当時の祖国は、軍事政権が民主化を求める学生らを投獄しては拷問する圧政を続けていました。
 そこへ「アウン・サン将軍の長女が帰っている」との報。民主活動家らの懇願でスー・チー氏は先頭に立つ決心をします。未経験の政治の世界に飛び込む契機は受動的でしたが「祖国のために働けという運命」を感じたといいます。
 同年八月、いきなり数十万人を前に演説デビュー。「この運動は第二の独立闘争と言えます」と語り掛け、聴衆を熱狂させました。「第一」は父親が凶弾に倒れた直後に達成された植民地支配からの独立、「第二」は軍政からの解放を意味していました。
 直後にスー・チー氏は国民民主連盟(NLD)をつくり、支持を広げましたが翌八九年、国軍に自宅軟禁されてしまいます。軍政は九〇年「これで勝てる」と総選挙を行ったものの惨敗。普通の民主国家なら政権交代ですが、国軍はこの選挙結果を「無効」として政権を渡しませんでした。
 少し前の八六年、フィリピンでは二十年間君臨したマルコス元大統領に代わり、民主化を渇望する国民の支持を集めた政敵の夫人コラソン・アキノ氏が政権を握る「二月革命」が起きました。同国は大統領任期を一期六年までに改め、民主化の歩みを始めます。

◆比などでも主役は女性

 一方、スー・チー氏は九一年、ノーベル平和賞に選ばれましたが、軟禁は続いており、ノルウェーでの授賞式には英国在住の夫と二人の息子が代理出席せざるを得ませんでした。軟禁は八九年から二〇一〇年まで中断を含んで計三回、通算十五年にも及んだのです。
 この間、スハルト元大統領の長期独裁下だったインドネシアでは敬愛されたスカルノ初代大統領の長女メガワティ氏が、民主化を求めて八〇年代に政界入り。弾圧され続けたものの辛抱強く機をうかがい、三十二年間続いた体制の崩壊から三年後の二〇〇一年、大統領になって民主化を進めました。
 フィリピンやインドネシアの民主化を女性リーダーが引っ張った事実は、スー・チー氏も意識したことでしょう。
 ミャンマーの民主化はインドネシアより十年ほど遅れて一一年、軍人出身で改革派のテイン・セイン元大統領が「民政移管」を宣言して種をまきます。一五年の総選挙では大勝したNLDに政権が移りました。スー・チー氏は「配偶者や子が外国籍であってはならない」という憲法の規定で大統領就任を阻まれましたが、新設の「国家顧問」になり、事実上のスー・チー政権が発足したのです。
 しかし、一七年に七十万人以上のイスラム教徒少数民族ロヒンギャが国軍の迫害で隣国に逃げ出した問題では帰還に向けての無策ぶりが目立ちました。オランダ・ハーグの国際司法裁判所で「ジェノサイド(民族大量虐殺)はなかった」と述べて国際社会を失望させ、ノーベル平和賞取り消しの議論もあったほどです。
 もちろん、軍政下に制定された現行憲法が民主化を阻んでいるのは間違いありません。「非常事態時には国軍総司令官に全権を移譲。議会は解散」「国会議席の25%は軍人枠」「憲法改正には議会の75%超の賛成が必要」−と定め、文民政権でも国軍の影響力は極めて強いのです。国軍のミン・アウン・フライン総司令官は「NLDが勝ったとする昨年の総選挙には不正があり、憲法に従って非常事態を宣言した」とクーデターを正当化しています。

◆選挙もデモも反軍表す

 しかし、昨年の総選挙後、日本など国際的な選挙監視団は「民主的に行われた」と発表しました。全土に広がる昨今の反軍デモも、民意を強く表しています。NLD政権の継続が民主主義の常道ですが、今のままでは、仮に文民政権に戻っても再びクーデターが起きてしまう危険があります。
 今、四たび自宅軟禁中のスー・チー氏の肉声は届きませんが、きっと「第三の独立」、つまり「軍政からの再度の解放」へ思いを募らせていることでしょう。フィリピンとインドネシアは、曲がりなりにも一度手にした民主政治を維持しています。むろん、ミャンマーもそうでなければなりません。

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