「第三の立場」で民主化目指す 伊東市ゆかりのミャンマー人 本紙に語る現状

2021年2月22日 07時14分

オンライン取材に応じ、ミャンマーの現状を語るモウ・ミンウーさん

 ミャンマー出身の元難民で、かつて伊東市で民宿を営んでいた母親と暮らしていたモウ・ミンウーさん(45)が十八日夜、クーデターで実権を掌握した国軍への抗議デモが続く最大都市ヤンゴンから本紙のオンライン取材に応じた。「(クーデターで)ミャンマーはいやだなと思ってほしくない。日本は頼りの国で、これからも助けが必要。大きな心で見ていてほしい」と願った。 (山中正義)
 「(国の)信用を失墜させる結果になる大変な事態に再び入る」。友人の電話で今月一日のクーデターを知り、危機感を抱いた。
 モウさんによると、抗議デモは毎日のように続き、全国に拡大。参加者の多くは過去のクーデターを経験していない二十、三十代。車を交差点に止めて道路を封鎖するなど「市民不服従運動」を続ける一方、デモ終了後にごみを片付ける姿も見られるという。
 国軍政権が制圧姿勢を強め死傷者も出ているが「この規模のデモにしては負傷者はまだ少ない方だ」と話す。ただ市民生活への影響は出始め、「物価が上昇している。生活が苦しくなっているのは間違いない」。
 モウさんは、対立する国軍とアウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)の間を仲介する「第三の立場」を模索している。双方の仲介を目指す組織を過去の民主化運動に関わった十数人と新たに結成した。デモには直接加わらず、参加者への水や食糧を支援。「間に入って話し合いたい。まだ話し合いの余地はあるはずだ」と主張。今後、活動を本格化させる計画という。

デモ参加者に水などを配って支援するモウさんらの活動の様子=ミャンマー・ヤンゴンで(いずれもモウ・ミンウーさん提供)

 ミャンマーは半世紀近く続いた軍事政権から二〇一一年に民政移管、民主化への歩みを進めてきた。「この十年間は良い方向に進んでいた。開かれたミャンマーになった」。自由な発言や報道、貿易…。経済は成長し、携帯電話や自動車を購入できる庶民も増えた。
 しかし、連邦議会の四分の一の議席はあらかじめ国軍に割り当てられ、政策に軍の意向が入ることは避けられない。そういう意味で「ミャンマー式の民主化」にとどまり、日本や欧米とは異なると感じている。
 今回のクーデターにモウさんは「一番やってはいけないこと。スー・チーさんの拘束も遺憾だ」と憤る。ただ、昨年の総選挙の不正疑惑を巡る話し合いを何度も求めた軍に応じなかったスー・チー氏の態度も批判。周囲の意見が通りにくく、独裁的な面も見受けられたといい、「もっと柔軟性を持って対応していれば、違う結果があったかもしれない」と考える。
 「争っている状況では前に進めない。間に入って話し合いを進めることが必要。一番の目的は民主化で、そのための方法は山登りと同じでどちら側から登るかによって道はいろいろある。私たちは私たちの方面から頑張る」。モウさんは力を込めた。
<モウ・ミンウー> 1988年に母親の仕事の関係で一緒に来日し、大学生まで日本で過ごした。ミャンマーで同年にクーデターが発生し、日本で民主化運動に関わった母親のパスポートは没収、帰国できなくなった。92年に母親らとともに在日民間ミャンマー人として初めて政治難民と認定。母親が伊東市内で民宿を経営し、中高生時代を同市で過ごした。98年の帰国後、再び日本に亡命した時期もあったが、2011年の民政移管以降、母国に拠点を移した。技能実習生を日本に送る事業などを手掛ける一方、総選挙にも2回出馬した。

ごみ拾いをするデモ参加者たち


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