<わけあり記者がいく>みんな人生のアスリート 「わけあり」に向き合おう

2021年2月24日 07時24分

東京五輪・パラリンピック組織委の理事会と評議員会の合同懇談会で、辞任を表明した森喜朗前会長=12日、東京都内で

 森喜朗元首相(83)が「女性を蔑視する発言をした」として世界中の怒りを買い、全面謝罪・全面撤回に加え、ついには東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の辞任に追い込まれた。五輪・パラリンピックには、けがや病気、障害などと格闘する「わけありアスリート」が多数出場する。妊娠・出産などによるブランクの少なくない女性も「わけあり」だ。そんな人たちを大きく包み込んでいく。その使命を森氏は忘れていなかったか。
 ◇ 
 「またまずいことを…」
 今回の発言の一報を聞いた瞬間、「わけあり記者」こと私、三浦耕喜(51)は二十年前の往事を思い起こしていた。今は見る影もないが、当時の私は目元涼しい「美少年」。体重は現在より二十キロ少なく、東京・永田町を軽やかに走り回る政治記者だった。
 一年という短い期間だったが、当時の小泉純一郎首相を支える総裁派閥の会長だった森氏の番記者も務めたことがある。失言は当時から森氏の「悪い癖」のようなもので、記事にするのはずいぶん骨が折れた。
 一番簡単な方法は「またバカなこととも受け止められることを言った。物議を醸しそうだ」と、なまくら刀で切り捨てることだ。だが、無駄を承知で掘り下げると、「ああ、これを基に言ったのか」という水脈にぶつかることも、ないわけではない。
 今回も森氏はヒントをくれた。女性理事の発言が増えたというのは、女性理事が誕生して以来、その数が増え、多彩な意見が出るようになったことを示唆する。「わけあり」を包摂する観点からは、実によい光景ではあるまいか。
 だが、森氏は女性理事の発言を、いたずらに会議を延ばす迷惑なものと捉えたようだ。せっかくの気付きも逆に解釈したのでは、時計の針を逆さに回すようなものだ。
 さらに見ていられなかったのは、翌日の釈明会見。型通りの謝罪の後、記者の問い掛けに「邪魔な老害、粗大ごみなら、掃いてもらえばいい」とふてくされた。ああ、私の父=享年(81)=とそっくりだ。介護生活に入った父も、何かうまくいかないと、「もう早う殺してくれ」が口癖となった。極端から極端に走る。単に老いただけでは老成できないものだ。
 ただ、年老いてもなお、何かの役に立ちたいと思っている人は少なくない。肩書が欲しいだけの人もいよう。でも、父は故郷の通称・白岩(岐阜県八百津町)の現代版わが三浦家の郷土史の編さんをやり通した。
 思い起こせば、森氏だって「わけあり政治家」だ。首相就任前後に前立腺がんだと分かった。幸い進行は遅く、薬物治療で乗り切ったが、その後、体重は減少。今では首の筋が浮き出るほどに痩せた。闘病、政治家としての激務。宴席だって仕事の一部だ。この両立・三立に挑戦していた。期待していた息子に先立たれてもいる。
 森氏も一人の人間として、内なる「わけあり」に向き合っていれば、慈眼を持って女性理事たちを見守ってやれたのではないだろうか。
 今や五輪は筋骨隆々たる若人が覇を争う場とは違う。近年も私たちは見てきたではないか。一人の挑戦が、多くの人の胸中に勇気の灯をともすのを。
 不肖ながら、三浦も彼らに続くつもりである。出場選手であるかどうかは関係ない。皆、人生のアスリートなのだから。
<パーキンソン病> 脳内の神経伝達物質ドーパミンを作る細胞が壊れ、手足の震えや体のこわばりが起きる。多くが50代以上で発症し、国内の患者数は約16万人。厚生労働省の指定難病で、根治療法はなく、ドーパミンを補う服薬が治療の中心。服薬は長期にわたり、経済的負担も大きい。
<みうら・こうき> 1970年、岐阜県生まれ。92年、中日新聞社入社。政治部、ベルリン特派員などを経て現在、編集委員。42歳のとき過労で休職し、その後、両親が要介護に。自らもパーキンソン病を発病した。事情を抱えながら働く「わけあり人材」を自称。

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