<ふくしまの10年・伊達東仮設 7年の日々>(8)離れがたい心情

2021年2月25日 06時46分

部屋に集まって茶飲み話を楽しむ避難住民。避難指示の解除後も多くの人が残っていた=2017年9月、伊達市で(豊田直巳さん提供)

 さまざまな支援にも支えられ、伊達東仮設住宅(伊達市)での飯舘村民は、長期化する避難生活に耐えた。ただ部屋に集まると、先行きの見えない不安が口をついて出た。
 「原発事故が起きた当初は放射能ってどういうことだか分からないし、この先どう転ぶんだか分からない。部屋に集まっては、どうなるんだっべなあって。避難は二年くらいで何とかしますって話だったから、二年ならすぐ過ぎるべと言い合ってたら、三年、四年、五年、六年…。起承転結はなく、起承転、転、転の日々でした」。菅野栄子さん(84)は長い避難生活での心の内をこう明かした。
 その半面、不自由な避難生活を共に乗り切ってきたゆえの結束、新たなコミュニティーが仮設に生まれていた。
 写真家の豊田直巳さん(64)は、長泥地区を除いて避難指示が解除されてから半年後の二〇一七年九月の仮設の写真を撮影している。こたつを囲み、避難住民らが語り合っている。
 解除の後、すぐに帰還した人ばかりではなかった。飯舘村に帰れば放射能への懸念もある。仮設ならすぐ近くに仲間がいて安心感がある…。理由はさまざまだが、仮設から離れがたい心情があった。
 一八年三月の入居者地図では四十九世帯七十六人が残っている。菅野さんもその一人で、仲のいい隣部屋の菅野芳子さん宅の建て替えが終わる同年十二月まで、仮設に残った。
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