<ふくしまの10年・伊達東仮設 7年の日々>(9)黒い土のう、所狭しと
2021年2月26日 08時20分
二〇一六年十一月、伊達東仮設住宅(伊達市)に避難していた飯舘村の村民たちは、観光バスをチャーターして村を巡った。長泥地区を除いて避難指示が解除されるのを前に、村の現状を知ることが目的だった。
マイクを握った仮設の自治会長、佐藤忠義さん(76)が「村にはこの黒いフレコンバッグが二百五十万個あると聞いております。二百五十万個だよ。置き場が足りなくて、各所にやってる(造っている)んだそうです」と説明した。
車窓からは約四ヘクタールの牧草地が広がっていたが、汚染土が詰まった黒い土のうが所狭しと積まれ、「あ…」「すごい量…」の声が上がった。
途中、無人となった村で人を恐れなくなったサルが路上でバスの行方をふさぐ。クラクションで逃げていく姿に笑いが起きた。
一面の太陽光パネルで埋め尽くされた農地や修繕中の村営住宅、除染で出た解体ごみの焼却施設…。原発事故の前、「日本で最も美しい村」連合に加盟した村の変わり果てた姿を、目の当たりにすることになった。
避難からこの時まで、村に一度も帰ったことのない人が多かった。佐藤さんにその時の反応を問うと、「反応? さまざまだったとしか言いようがないなあ。放射能への考え方とか、家族のこととか、状況は人それぞれだからな」。住民たちは人生の選択を迫られることになった。
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