<ふくしまの10年・伊達東仮設 7年の日々>(10)二度も分断された村

2021年2月27日 07時24分

避難住民が去り、雑草が茂る伊達東仮設住宅=福島県伊達市で

 「おらも、帰んなきゃなんねえのかなあ」
 「どうしようかねえ。みんなに合わせようかあ」
 伊達東仮設住宅(伊達市)に避難した飯舘村民をずっと追い続けてきた写真家の豊田直巳さん(64)は、そんな声をたびたび聞くようになった。二〇一七年三月末の長泥地区を除く避難指示解除が迫っていた。
 解除になれば、村に戻って再び住める。だが、村では放射能と折り合いをつけながら暮らす必要があり、近所の多くは移住して空き地という現実もある。自分も移住する道もあるが、新たな地になじむのは大変。それなら七年間、苦労を共にした仮設のコミュニティーがいい−。
 そんな仮設の人々の心の揺れが、解除から一年たっても約半数の七十六人が仮設を引き払わなかった事実にも現れている。仮設の自治会も、一八年三月末まで延長された。豊田さんは「解除されたらはい帰還なんて単純なものではないです。突然の原発事故による避難で分断され、解除でまた分断。二度も村は分断されたわけです」と指摘する。
 帰還を決めつつ、一八年十二月に友人宅の準備が整うまで仮設に残った菅野栄子さん(84)は「いなかではコミュニティーがより大切で、それが崩れる打撃はとても大きい。私は村に戻りましたが、元の姿には戻しようもなく、悩みながら生きてるんです」としみじみ語った。=おわり
(山川剛史が担当しました)
 ◇新シリーズを3月2日から始めます。ご意見はfukushima10@tokyo-np.co.jpへ

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