<記者たちの3・11 つながるつなげる>災害と負の感情 川崎支局・安藤恭子

2021年2月28日 06時51分
 東日本大震災の一カ月後、宮城県気仙沼市の避難所で、バーベキューを振る舞う日系ブラジル人ボランティアらを取材した。彼らの住む岐阜県から車で半日以上。リーマン・ショック後で家計が苦しい人も多い中だ。「お世話になった日本に恩返ししたい」との熱意に心を揺さぶられ、私も車で追い掛けた。
 建物や船のがれきに覆われた町。熱々の肉をほおばり喜ぶ被災者の声を聞き、「これは良い話」と記事にした。ところがネット掲示板では「俺よりいいもん食ってんなw」「いつまで甘えてるんだ」と被災者への中傷も相次ぎ、私は少なからずショックを受けた。
 私の職場にも義援金を持参する人たちが列をなし、泥だしを担うボランティアらが次々と被災地へ向かった。善意があふれる一方、福島原発事故への不安も高まった。地元の学校給食では「子どもの安全が第一」とされ、長野県以東の東日本産の食材を避けるという産地の選別が行われたことに複雑さも覚えた。
 「やな言葉 原発いじめ 続く闇」。震災後、福島から関西地方に自主避難した母親らが募った川柳の句だ。「放射能うつる」と福島の子が転校先でいじめられる事態まで起きた。
 災害による負の感情は今に始まったことではない、とその後知る。一九二三年の関東大震災では「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」「暴動や放火を起こした」とのデマが虐殺へと発展した。この「井戸に毒」のデマは熊本地震や先日の福島・宮城地震でもSNSで発せられ、批判を浴びた。
 このコロナ禍=災害でも、医療従事者や「夜の街」で働く人々をターゲットとした差別が起きた。かつてのハンセン病で起きたように、感染者を「悪」として忌み嫌うことは、もうあってはならない。悲しい史実は、混乱の今を読み解く糧となる。不安に流され、人を傷つける悪意へと発展することがないようにと願いながら、目の前の事象を記録していく。
 1998年入社。中日新聞東海本社(浜松市)、さいたま支局など経て震災当時は岐阜・美濃加茂通信局。社会、特別報道部を経て昨秋から川崎支局。45歳。

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