週のはじめに考える 思い出すのではなく

2021年2月28日 07時14分
 まずは、本紙生活面にある投稿欄「つれあいにモノ申す」に以前載った、六十七歳の男性からの投稿を一つ紹介しましょう。
 <物忘れした体験を妻に話すと「おもしろい。『つれあい』に出したら」と言う。そこでパソコンに向かってみて困った。どんな話か思い出せない。妻に聞いたが覚えていない。仕方がない。そのことを投稿しよう>
 今風に言えば、「年配者あるある」。いわば、罪のない健忘ですが、そうとは言っていられないこともあります。

◆もう十年、まだ十年

 明日から三月。今年も間もなくあの日が巡ってきます。
 米国では「JFK(ケネディ大統領)が暗殺された時」と言うようですが、日本でいうなら、やはり大震災でしょう。二〇一一年三月十一日午後二時四十六分。あの瞬間、自分がどこで何をしていたか、多くの日本人がはっきり覚えていると思います。
 もっとも、十年といえば、小学四年生が成人になるほどの時間。それだけの時が流れて当時感じた恐怖や不安をそのまま忘れずにいることは難しいかもしれません。
 「もう」十年か、「まだ」十年か。どっちと感じるかは大震災との“距離”によりましょう。近ければ近いほど「もう」より「まだ」と感じる人が多くなるのだろうとも想像します。
 今月中旬、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震が、東北を
中心に北海道から本州の広い範囲を揺さぶった時、「大震災を思い出した」という声が多く聞かれました。筆者も同じでしたが、一方で、被災当事者は少し違うのではないか、とも考えていました。
 <忘れねばこそ、思い出さず候>。これは、落語などにも登場する花魁(おいらん)、高尾太夫が書いた“恋文”の一節として知られる文句です。「思い出すことはない」、なぜなら「忘れないから」。これこそ、津波や地震に愛する人を奪われ、家を失った人々の実感ではないかと思ったのです。

◆自民党政権の忘却

 そして、無論、あの原発事故で長く暮らした土地を追われた人々にとっても。いや、人為と天為が重なった災難なればこそ余計に、不条理な仕打ちへの怒りや悲しみは、ひと時も心を去ることがないであろうと推察します。
 そう思いを致せば、自民党政権や電力会社の原発への執着は不可解なほどです。
 顧みれば、自民党は一二年の衆院選で「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立を目指す」と公約に掲げていました。震災翌年、さすがにまだ、その時点では事故の教訓を忘れていなかったのかもしれません。それがどうでしょう。原発を次々に再稼働させ、ルールの「例外」として寿命四十年を超える「老朽原発」の延命さえ…。今や忘却は鮮明です。
 東京電力の柏崎刈羽原発(新潟県)で、所員が他人のIDカードで中央制御室に不正入室した事案も衝撃でした。テロの標的にもなり得て、警備厳重であるべき原発でも特に重要な制御室。警備員も見過ごし、本人以外が簡単に入れてしまったという事実には、驚きを通り越して恐怖を感じます。
 蓋(けだ)し、システムにはエラーがつきもの。いくら点検しようと何万本もあるネジの中のたった一本が緩むようなことは起こり得ます。しかし、原発の場合は、それが破滅的結果につながりかねない。そこが怖いのです。その怖さを、皮肉にも福島事故の当事者の電力会社が自ら、こうした、内部の「緩み」によって示したわけです。事故の教訓が忘れ去られている証左とも言えましょう。
 心理学によれば、人には、完了したものより未完了のものの方が記憶に残りやすい傾向がある(ツァイガルニク効果)とか。彼らが忘れるのは、まだ進行形のあの事故を完了、「もう終わったこと」とみているからかもしれません。
 最近、名古屋大減災連携研究センターの福和伸夫センター長が新聞で語っていたことが印象に残りました。地震は「起きる前にほとんど勝負はついている。起きた後にやれることには限りがある」。
 思い出したのは、かつて神戸新聞記者に聞いた「災後」という言葉。阪神大震災の後、彼は「災後の報道は一生懸命やっているが、どうしてもっと事前にできなかったのかとの思いがある」と。

◆「災前」の策として

 福和さんも言うように、日本は「災害の百貨店」。そして、例えば、南海トラフ地震はいつ起きてもおかしくないといいます。つまり私たちは常に未完了の「災前」を生きているわけです。だから、たとえ被災者のようには恐怖や不安を忘れずにいることはできなくとも、悲劇の教訓だけはいつも心に留め置く。即(すなわ)ち、時々「思い出す」のではなく「忘れない」。それが「災前」の策なのでしょう。

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