古里が消えないために 江戸末期から続く「田植踊」を守る<あの日から・福島原発事故10年>

2021年3月2日 06時00分
 「ここには神社があったんだよ」。福島県浪江町の沿岸部・請戸うけど地区の神社で、江戸末期から地元住民らが奉納してきた「田植踊」。神社は大津波で跡地だけになり、再建のめどが立たない。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故は、地域の伝統芸能の存続にも影を落としている。住民が避難で散り散りとなった中、踊りを残そうと活動を続ける人がいる。 (小野沢健太)

苕野神社で田植踊を披露する子どもたち=2008年2月17日、福島県浪江町で(佐々木繁子さん提供)

◆神社は跡形もなく

 福島第一原発から北へ6キロの請戸地区は見渡す限りの空き地が広がる。雑草に囲まれるように、石積みがポツンとあった。「今じゃ跡地を探すのもひと苦労だぁ」。地区に住んでいた佐々木繁子さん(70)=同県いわき市=がつぶやいた。
 「苕野くさの神社」があった場所では、毎年2月中旬、地元の請戸小学校(今年4月に閉校し、校舎は震災遺構になる)の児童らが豊作や豊漁を願う「安波あんば祭」で「田植踊」を奉納していた。佐々木さんは、踊りを教えていた一人だ。
 2011年3月11日、請戸全域は大津波に襲われ、避難指示の解除後も災害危険区域に指定され今後も人は住めない。佐々木さんも東京都内に避難していた。
 11年8月、いわき市であった復興公演に、児童らに参加を呼びかけると、福島市や新潟県などから19人が集まった。
 「友達に会えるのを楽しみに参加してくれた」。依頼があるたびに踊り子たちに連絡し、各地の仮設住宅や苕野神社跡地で披露した。

◆コロナ禍が追い打ち

 これまでの公演数は55回。今年2月21日に神社跡地であった祭は、新型コロナウイルス対策で神事のみとなり、踊りは奉納されなかった。
 事故から5年ほどたったころから、踊り子を集めるのが難しくなった。「避難先の学校でからかわれるから行きたくない」と言われたこともあったという。

苕野神社跡地で「田植踊を残したい」と話す佐々木繁子さん=福島県浪江町で

 佐々木さんは「被災地出身だと知られたくない子がいまだにいる。保護者も子どもの送迎などを負担に思う人もいる」と声を落とす。
 そのため福島市の日本舞踊教室の生徒らに加わってもらうようになった。
 請戸以外の人を加えることに悩み、古くからの請戸住民に相談したことがある。「繁ちゃん、気にすんな。じゃなきゃ踊りなくなっど」。それで吹っ切れた。
 「請戸は津波と原発事故で何もなくなり、住めなくなった。田植踊まで途絶えたら、古里が完全に消えてしまう。請戸を忘れないでほしいから、何があっても踊りを続けていく」

◆住民の絆の象徴「途絶えさせないで」

 NPO法人「民俗芸能を継承するふくしまの会」(福島県郡山市)によると、県内に伝わる田植踊は180カ所ほどあり、うち約120カ所は沿岸の浜通り北部に集中していた。震災後、活動再開を確認できたのは、請戸を含め浪江町内で伝わってきた5カ所だけという。
 同会理事長の懸田弘訓かけたひろのりさん(83)は「田植踊の分布は、福島の気候と密接に関わっている」と話す。沖合を寒流が流れる浜通り北部では「やませ」と呼ばれる海側からの冷たい風が吹き凶作をもたらしてきた。一方で暖流が流れる南部のいわき市には踊りが一つも伝わっていないという。
 懸田さんは「厳しい自然環境に耐えて生き抜いてきた先人の心情が表れた文化であり、価値が高い」と指摘。「住民が協力して踊りを作り上げることで、絆を強めてきた。地域の芸能が途絶えることは、住民同士の絆が消えることに等しい」と強調した。

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