<あの日から 東日本大震災10年>写真通じ「心の復興」 富士のフォトジャーナリスト・庄司博彦さん 石巻の中学校で教室

2021年3月3日 07時40分

震災直後の被災地を撮影した写真を見ながら、当時を振り返る庄司博彦さん=富士市で

 東日本大震災の発生後、被災地の中学校を定期的に訪問し平和をテーマに三年間、写真教室を開いた富士市のフォトジャーナリスト庄司博彦さん(76)。中学生たちが写真撮影を通じて、つらい経験に向き合い、新たな一歩を踏み出す姿を見守ってきた。現在も、元生徒らと交流を続けている。 (佐野周平)
 庄司さんは震災が起きる前の約十年間、海外の紛争地などを巡り、平和をテーマに写真教室を開いてきた。「被災地の子どもを助けてほしい」。震災直後、仙台市の知人に懇願された。悩んだ末に承諾した。
 震災の約一カ月後から、宮城県石巻市の二つの中学校を、それぞれ年に数回の頻度で訪問。写真教室では毎回、使い捨てカメラを生徒一人一人に渡し、「平和」から連想するものを自由に撮ってもらった。
 その最初の教室でのこと。津波で母親を亡くした当時中学一年の男子生徒は、津波で大きく傾いた建物を撮った。題名は「無力なぼくたち」。男子生徒を学校に迎えに行く途中、津波で流されたと思われる場所だった。
 当初は声を掛けてもほとんど話を聞けなかった。一年が過ぎたころから徐々に心を開いてくれるように。母が生前に履いていたスリッパや、笑顔でおどける友人など、被写体にも変化が見えてきた。
 二年後の被写体は母の遺影。二年半後の写真にあったのは母の墓石だった。「母が明るい性格だったから」と、ストロボをたいて墓石を撮ったという。
 約三年後、最後の教室で撮ったのは、志望校の合格発表で張り出された生徒自身の受験番号だった。震災を機に建築家を志し、題名は「夢への第一歩」だった。
 数年前、男子生徒は高卒後に地元企業への就職が決まり、母の墓前に報告した。「彼は長い時間、お墓に向かって無言で手を合わせていた。防潮堤の建設など、復興は進んでいるようにも見えますが、心の復興は本当に難しいことだと思う」。同行した庄司さんはしみじみと語った。
 当時知り合った生徒や保護者とは、電話や年賀状で近況を報告し合うなど、今も交流を続けている。「これからも被災者の心に寄り添い、『みんなが思いを寄せているんだよ』と伝えていきたい」

2011年4月ごろ、中学校で写真教室を開く庄司さん(左前)=宮城県石巻市で(本人提供)

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