<ふくしまの10年・もう一度 弾きたい>(2)涙あふれた「風笛」
2021年3月3日 08時08分
津波で祖父母を失った福島県いわき市の高橋咲栄(さきえ)さん(44)。生後五カ月の次男佑輔(ゆうすけ)ちゃんを事故で亡くした直後でもあり、生きるのが苦しかった。
心のよりどころがほしいと、寄せ植えを始めてみる。物言わぬ草花に慰めを感じた。
ふと思い出したのは、自宅のピアノ。長男が一年で習うのをやめ、居間に放置していた。高橋さんも幼い頃にエレクトーンを習ったが、その後は鍵盤から離れている。
「もう一度弾きたい」
高橋さんの心に、浮かんだ曲があった。約二十年前のNHK連続テレビ小説のテーマ曲「風笛(かざぶえ)」。佑輔ちゃんのお葬式で、電子ピアノで演奏された曲だった。
悲しい曲ではない。「明るい」と形容される長調の曲。真っ青な空に流れる雲を見るような、すがすがしさがある。
ゆったりとした美しいメロディーが右手で奏でられる。左手は和音でハーモニーを作り、時折微妙な陰りを添える。
あの日、演奏を聴いた高橋さんは涙があふれて仕方がなかった。つらい涙だったが、それを導いたあの曲が悪いのではない。感情を解き放ってくれた善いものだ。それを自分の手で弾いてみようと思った。
「与えられた試練には何か意味がある。必ず乗り越えられるはずだ」
「いつか再び、佑輔に会う時のために、ちゃんとした人間でいたい」
通い始めたピアノ教室の先生が驚いた。練習する楽譜はシャープ記号が五つも付いたロ長調で書かれ、不慣れな黒鍵が多く出てくる。片手で二つの旋律を同時に弾くなど、難しかったからだ。
「簡単な曲から始めたら?」と勧める先生に、高橋さんは「絶対に弾きます」と譲らなかった。
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