泉麻人 絶対責任編集 東京深聞 《東京近郊 気まぐれ電鉄》 昭和おもいで電車(その3)『焦茶色の常磐線と煙突風景』

2021年3月10日 12時04分

昭和時代に乗っていた「常磐線」でのおもいで

 前回の最後でちらっとふれた「常磐線」の思い出について書こう。「お墓参りのときによく使った…」と書いたけれど、わが家のお墓は松戸の八柱霊園にあったのだ。
 経路をいうとまず目白から山手線の外回りに乗って、日暮里で常磐線に乗りかえる。例のカナリアイエローの山手線(前回参照)から焦茶色の常磐線に乗りかえるとき「古くさい電車だなぁ」と幼心に感じたおぼえがあるから、記憶の底にあるのはオリンピックのちょっと前あたりだろう。乗りつぎ駅の日暮里は<ニッポリ>の音がおもしろかったせいもあって、印象に強く残っている。当時テレビの演芸番組によく出ていた柳亭痴楽の持ちネタに“山手線つづり方狂室”というのがあって、山手線の駅名を織り込んで調子よく恋歌のようなのを語る。日暮里のところで「ニッポリ笑ったその顔で」と言いつつ痴楽が気味のわるい笑顔を見せるシーンが思い浮かんでくる。
 常磐線の本線は水戸を越えて、2011年の地震で被災した宮城県の沿岸部の方まで行く鉄道だが、僕がよく乗ったのは首都圏内の普通電車(緩行線)で、ぼつぼつの鋲が剥き出しになった、省線時代からの焦茶色の電車(広いジャンルでいう国鉄40系)が走っていた。
 車内も木床で黒っぽい床油が敷かれている。鼻をつくそのニオイが僕はけっこう好きだった。野菜行商のオバサンがよく乗っていたので、青物のニオイもする。しかし、僕らが墓参りに行く時間は午前中としてもさほど早い朝ではないだろうから、乗り合わせたのは多くの野菜を東京で売った後、帰路の行商の人たちと思われる。「ぼうや、ハイ」なんていわれて残ったトマトなんかを1つ2つもらったことがあったような気もする。
 日暮里を出ると次が三河島だったが、お墓参りの記憶が残る頃、「三河島事故」という惨ましい列車三重衝突事故があった。もちろん細かいことは後から知ったものだが、脱線した貨物列車に上り、下りの普通電車が数分の間隔を置いて衝突、数両が激しく転覆した。貨物を引いていた機関車はまだD51型のSLだった時代である。
 先日「空白の五分間」という当時の運転士が書いたノンフィクションの古書を読んでいて、へーっと思ったのは、事故発生時にテレビで放送していたファイティング原田のボクシング中継(ベビーエスピノーザ戦)が裁判の重要証言の1つになった、という話。ボクシングそのものではなく、ラウンドの合い間に観客席にいた力士・豊国がカメラに映りこんだときに衝突音を聞いた、という現場近くの視聴者の証言が注目されたらしい。
 豊国は贔屓にしていた豊山と同部屋(時津風)の人気者のお相撲さんだったから、精悍な顔つきまで思い出されてくる。事故は1962年5月3日のことだが、こういうテレビのようなメディアが生活に根づきはじめた時代でもあったのだ。
 三河島の次が南千住、隅田川の鉄橋を渡って、北千住。ずっと高架線を走っていた常磐線、窓側に顔を向けて座る僕と弟に母が「あれがお化け煙突よ」と教えてくれたシーンを妙に記憶している。
 眺める位置によって、4本の煙突が3本、2本、ず太い1本にまで数が変わるという東京電力千住火力発電所の通称お化け煙突が建っていたのは、千住桜木の現在の帝京科学大キャンパスの一画だから、常磐線からはけっこう離れている。遠方にぼんやり見える、お化け煙突らしき高い煙突をずっと目で追っていた記憶があるけれど、当時の千住や町屋の隅田川近くはともかく工場だらけだったから、そういう別の煙突も含めて本数をかぞえていたような気もする。
 お化け煙突が撤去されたのはオリンピック直前の夏(64年)というから、やっぱりあの車窓風景はせいぜい小学校に上がってまもない頃のことなのだ。
 ちょうどその頃だったと思うが、オロナインの大塚製薬が「サラリン」という便秘薬を出していて、女優の三宅邦子が3本の煙突のマンガ(1本だけ便秘でパンパンにふくらんでいる)を見せながら「あら、煙突さん苦しそうね」なんてナレーションするCMをやっていた。この3本煙突のCMが常磐線の煙突風景と重なる(ネットには69年ごろからの広告しかアップされていないが、もっと早くからやっていたはずだ)。
 常磐線の車内風景でもう1つ、強い印象が残っているのが傷痍軍人の姿である。白い軍服を着た1人がアコーディオンで哀しいムードの軍歌なんかを奏で、もう1人は負傷した足や手に包帯を巻いて松葉杖をついている。目をやられてサングラスをかけていた人もいたかもしれない。毎年のように見掛けたわけではないだろうが、向こう側のつなぎ目の扉をガラッと開けて、通路に竹のカゴを置いた行商おばさんの間をかきわけるようにしてこちらに近づいてきた光景が映画の1シーンのように刻まれているから、よほど刺激的だったのだろう。いや、こういう記憶というのは、実際近い時期に観た映画やドラマのシーンが上塗りされている…という可能性もあるが。
 行きと帰りの車両風景もごっちゃになっているのだろうが、ともかく松戸まで(帰りは日暮里)の時間がちょっとした列車旅のように長かった。

田園風景のあった「綾瀬」の街文化

 北千住を過ぎて荒川を渡ると綾瀬。この綾瀬の駅のすぐ向こうに田んぼが見えた、というショットが脳裡にこびりついている。これは子供の記憶違いではなく、1960年代前半の地形図を見るとまさに駅前から水田地帯が広がっている。僕が住んでいた落合界隈には小さな畑はともかく、もう田んぼはまるでなかったから珍しかったのだ。
 そして、少しまた町めいてきた亀有に着く。まだ「こち亀」はやっていなかったからあまりポピュラーな地名ではなかったけれど、動物の亀が付く名前は亀戸と同じくおぼえやすかった。
 金町を過ぎて江戸川を渡れば松戸だ。八柱霊園に行くにはここで新京成線に乗りかえたはずだが、こちらは区間が短かったせいか、車内や車窓風景の記憶はない。
 常磐線も60年代の終わり頃にはエメラルドグリーンの103系が主流になって、地下鉄千代田線も入りこんでくる(綾瀬や亀有はむしろ千代田線の駅のイメージになった)けれど、思い出に残っていないのは墓参に行かなくなった、ということでもあるのだろう。
 いやしかし、常磐線と疎遠になった高校生の頃、よく聴いていたラジオ番組に「ソウルフリーク」というのがあった。この番組は以前から「オールナイトニッポン」をやっていた洋楽通のベテランDJ・糸居五郎がハヤリ始めてきたソウル(ディスコ)ミュージックをマニアックな解説をつけてかけるという内容。不良に誘われてたまに行くようになった赤坂や六本木のディスコをきっかけに、ロックよりもソウル系の音楽に熱をあげていた僕のお気に入りの番組だった。
 モータウンにフィラデルフィア系のスウィート・ソウル、ちょっと通なサザンソウルにファンク…いろいろかかったけれど、番組中、糸居五郎の調子の良いナレーションでしばしば入る「常磐線綾瀬駅前 ブラックシープ…」というディスコのCMが耳に残った。
 「ブラックシープ」という店は確か渋谷か新宿に本拠があったはずだが、綾瀬に支店ができるとは、ちょっと驚いた。その10年かそこら前、駅のすぐ先に田んぼが見えた綾瀬もエメラルドグリーンのシャレた電車が走り、ヤングが集うディスコのある町に変貌したのである。

PROFILE


◇泉麻人(コラムニスト)
1956年東京生まれ。慶応義塾大学商学部卒業後、編集者を経てコラムニストとして活動。東京に関する著作を多く著わす。近著に『夏の迷い子』(中央公論新社)、『大東京23区散歩』(講談社)、『東京 いつもの喫茶店』(平凡社)、『1964 前の東京オリンピックのころを回想してみた。』(三賢社)、『冗談音楽の怪人・三木鶏郎』(新潮新書)、『東京いつもの喫茶店』(平凡社)、『大東京のらりくらりバス遊覧』(東京新聞)などがある。『大東京のらりくらりバス遊覧』の続編単行本が2021年2月下旬、東京新聞より発売される。



◇なかむらるみ(イラストレーター)
1980年東京都新宿区生まれ。武蔵野美術大学デザイン情報学科卒。著書に『おじさん図鑑』(小学館)、『おじさん追跡日記』(文藝春秋)がある。
https://tsumamu.tumblr.com/
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