<よみがえる明治のドレス・6>皇后の仕事着 ローブモンタント11着 全国の寺社や大学に保存

2021年3月4日 07時15分
 明治天皇の后(きさき)、昭憲(しょうけん)皇太后(美子(はるこ)皇后)が昼食会や面会などの際に着用していた通常礼服(ローブモンタント)が、全国の神社仏閣や服飾関係の学校法人などに10着以上保存されていた。新年拝賀に限定された大礼服に対し、国民とも接する公的な場に着用した“仕事着”が通常礼服だ。時空を超えて人々を魅了する宮廷ドレスをお届けする。
 本紙が展覧会資料に記録が残る所蔵先に保存の有無などを聞いたところ、全国の神社仏閣や大学の博物館など七カ所に十一着(ヴィジティングドレス含む)保存されていることが判明した。うち八着は皇室とゆかりの深い神社や寺院に保存され、下賜(かし)先は明治天皇の皇女や皇太后の女官グループが有力なルートになっていた。保存状態はおおむね良好で、多彩な通常礼服の一端が浮き彫りとなった。
 「閉ざされた江戸の時代から世界に向かって開かれていく時代の変化や気分の高揚感が一つのドレスに結実した。特に、色と形、共に大量生産ではない手作業で一つ一つ心を込めて作られている」
 明治神宮ミュージアム(渋谷区)の黒田泰三館長は、同館が所蔵する通常礼服の資料的価値を強調する。

紅梅色の紋ビロード地に2種類のレースの飾りが鮮やかな通常礼服(明治神宮蔵)

 紅梅色の紋ビロード地に二種類のレースで飾られているツーピースと、生地は白の紋縮緬(ちりめん)に重ね桜花文様のワンピースの二着で、一九六九年二月、明治天皇の第九皇女だった東久邇聡子(ひがしくにとしこ)さん(旧東久邇宮稔彦(なるひこ)王妃)が明治維新から百年にあたり同神宮に奉納した。
 ワンピースは一一(明治四十四)年十一月三日、明治天皇の最後の誕生日「天長節」に着用した通常礼服で、生地は国産とみられる。ツーピースは、特徴的なスタイルなどから明治三十年代の制作とされる。

藤の花のデザインが特徴でフランス製とされる通常礼服(杉野学園衣装博物館蔵)

 杉野学園(品川区)蔵の通常礼服は、皇太后の通訳や洋装に関する御用掛を務めた香川志保子に下賜されたドレスで、皇太后の実家一条家の家紋である藤の花の文様が特徴の一つ。京都服飾文化研究財団理事の深井晃子さんは「ドレスのシルエットなどから、制作年は一九〇七年から八年で、パリ製とみられる。当時のパリでは、強い日本趣味“ジャポニスム”が見られ、藤の花が日本的な花として、菊、朝顔などとともに人気だった」と指摘する。

バッスルスタイルが特徴の通常礼服(大本山誕生寺蔵)

 大本山誕生寺(千葉県鴨川市)蔵も皇太后の女官だった小池道子の寄贈で、腰の後ろの膨らみを強調したバッスルスタイルが特徴。「最も初期の宮廷ドレスの一つ」と深井さんは話す。
 明治憲法発布前に定められた女子服制によると、通常礼服は、大礼服、中礼服、小礼服と並ぶ洋式礼装の一つで、当時フランスで流行していたスタイルが取り入れられ、ローブモンタントと呼ばれた。背中や肩を露出しない立ち襟・長袖で丈が長いドレスで、昼食会や面会、宮殿行事、公的訪問などに着用した。
 日大准教授の刑部(おさかべ)芳則さん(日本近代史)は「洋装の比率をみれば、着る機会が年一回だけだった大礼服に対し、通常礼服は国民の目にも直接触れる皇后の仕事着であり、十二単(ひとえ)から洋装へと服制が劇的に変わったことを伝えることができた。こうした点を踏まえれば、全国に十着以上現存していること自体に大きな意味がある」と指摘する。
 京都市の大聖寺に所蔵されていた昭憲皇太后の宮廷ドレス「大礼服」を研究・修復・復元するプロジェクトが進められている。二〇二二年に完了予定。修復を機に、明治のドレスにまつわる謎の解明や皇太后が果たした近代化の役割に光をあてる。
 文・吉原康和
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