<あの日から 東日本大震災10年>箏曲界のアイドル 25歳・大川義秋 故郷・双葉思い「前へ」 箏に避難先で魅了され 

2021年3月5日 07時58分

「心に寄り添う音を追究したい」と話す箏曲家の大川義秋=東京都千代田区で

 東日本大震災から十一日で十年を迎える。独創的なスタイルで箏の魅力を伝え、人気上昇中の大川義秋(25)は故郷の福島県双葉町への思い、鎮魂の念を胸に一音一音を奏でる。移り住んだ埼玉県の高校で出合った箏に魅了され必死に打ち込み、プロ奏者になった。「あの日があったから、前に進もうという思いが強くなった」と語る。 (ライター・神野栄子)
 二月下旬、横浜市青葉区のたまプラーザの多目的スペースで開かれたピアノと二胡(にこ)とのジョイントコンサート。オリジナル曲「空糸扉麗−solashidore−広島・長崎原爆を忘れないために」を初めて披露した。原爆に東日本大震災による原発事故への苦悩も絡めた作品。暗い曲調は次第に平和の願いを込めた希望の音色に変わっていく。約六分の音のストーリーに、若い世代から高齢者まで会場を埋めた女性ファンは聴き入った。

ファンを魅了するステージ=2月、横浜市青葉区のたまプラーザで

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 十年前の「あの日」は中学の卒業式だった。四月からの新たな日々に心躍らせていたのもつかの間、津波と放射能で避難を余儀なくされた。双葉を離れ、家族と埼玉県新座市に避難先を求めた。特別措置で県立南稜高校に入学したが「避難者ということで周囲の目も気になった」。そんな理由から、部活動も部員ゼロで廃部寸前だった邦楽部を選んだ。
 一人だけの活動だったが、地元の箏の講師が週一回、指導に来てくれた。「どこか寂しげな音色が、傷ついていた僕の心に寄り添ってくれるかのようで、好きになりました」。程なく部員は三人になり、学校の文化祭で演奏の発表もした。
 二年の時から「箏男(コトメン)」と名乗り、介護福祉施設などで本格的に演奏するようになった。作曲も始め、これまでに十数曲作った。さらに福島県いわき市内に設けられた双葉町の仮設住宅など、同県内での演奏活動もするようになった。「お箏で誰かのために行動したかったんです」。卒業後は拓殖大工学部デザイン学科に進学。研究室の大島直樹教授から受けた一つのアドバイスが進路に大きな影響を与えた。「箏の音色を“見える化”してみたら?」
 演奏することだけに必死だったスタイルが一変した。箏を置く台や衣装もすべて視覚に訴えるようにした。十着以上ある衣装は、デザインから縫製まで自分で手掛け、演奏会も見て楽しめるように“ビジュアル”にこだわるようになった。
 それまでの箏曲界になかった独特のステージでは、二十五弦で奏でる艶のある音色で観客の心をつかむ。いつしか女子高生から祖母の世代までファンが増え、「箏曲界のアイドル」といわれるようになった。

2019年8月、ドイツ・フランクフルトで演奏する大川義秋(本人提供)

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 昨年十二月、第一線で活躍する箏曲家の登竜門とされる「賢順記念全国箏曲コンクール」に「空糸扉麗−」で出場、最優秀賞に輝いた。「心に寄り添うことが僕の曲調。やさしい音色で誰かを支えたい」。長年コンクールに携わる小島美子(とみこ)国立歴史民俗博物館名誉教授(91)は「現代を意識し、箏の音色を美しく表現しようと工夫しているところが素晴らしい」と評価する。
 被災したあの日から始まった一途(いちず)な思いを、一つずつ音に込めてきた。双葉のことを忘れたことはない。最近は演奏会に来てくれたファンを見ると、コロナ禍で疲れているのが分かるという。「疲れた心、苦しい心にも寄り添えるのが僕の箏の音色」
 十三日にいわき市の龍雲寺でソロコンサートを開く。これからも新しい箏曲のスタイルを追究しつつ「鎮魂の思い」を抱き続ける。
<おおかわ・よしあき> 1995年12月14日、福島県双葉町生まれ。2017年秋に結成された男性だけの和楽器集団「桜men」に参加し、20年、メジャーデビューも果たした。17年11月、「くまもと全国邦楽コンクール」で最優秀賞など受賞多数。

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