猫がこなくなった 保坂和志著

2021年3月7日 07時00分

◆小説という束縛から逃れて
[評]湯浅学(音楽評論家)

 感覚とは何か。記憶とは何か。その問いかけが小説を書かせている。そのせいだろうか、保坂の小説を読んでいる最中に、ちょっと気を逸(そ)らしたりすると、それまで読んでいたのが何だったのか、わからなくなることが多い。それでまごついたり困ったりするかというと、そんなことはない。ストーリーからズレるとか、そんなことはあまり気にならない。
 一つの小説の中に込められた見解はひとつではないし、何かひとつの主調に集約されていくのでもない。登場人物がどう感じたか、ということが、作者の感覚のどこにどう作用して生まれたのかということが描かれている。登場人物や猫がどう考えているのか、よりも、その考えとは何なのか、ということを保坂は具体的に掘り下げていく。
 たとえば記憶とは、どのように保たれ作用しているのか、とともに、どのように生まれたり変化したりするのかについてつい考えてしまう。
 小説という束縛から逃れるために、小説を書く。保坂の小説はそのようにして生まれている、と俺はいつも感じている。だから読んでいると心が熱くなる。小説という束縛というのは、いいかえると、意志によって固定された感覚ということなのだが、そんなことをいうと、確かな意志や意欲なしに小説など書き上げられないだろう、という人がいるかもしれない。そういう人にこそ本書を体験してほしい。
 保坂は、実感、そのものを書こうとする。だから考えは行ったり来たりする。その行ったり来たりの道程が小説なのだ、と思う。
 春の陽(ひ)をあびて、ぽわんとした気持ちのときに出会ったら、忘れていたトキメキが突然湧き上がるような、たとえばこんな一文と、不意に出会える短編集である。
 「私はあこがれるのが好きだ、あこがれているとき私はいまいるここにいなくなる、いまでないずっと前かずっと後に自分はいていまここの風景全体を見ているようになる」
(文芸春秋・1870円)
1956年生まれ。作家。95年『この人の閾(いき)』で芥川賞。2013年『未明の闘争』で野間文芸賞。

◆もう1冊

保坂和志著『地鳴き、小鳥みたいな』(講談社)

関連キーワード

PR情報