東京大空襲で墨田区の惨状を伝える碑が5キロ離れた台東区に…なぜ? 著述業の女性が建立時の情報求める

2021年3月8日 06時41分

大空襲の記録や、「吉田製作所」の名前が刻まれている碑文

 十万人以上の命が奪われた東京大空襲から十日で七十六年。大きな被害を受けた墨田区江東橋一丁目の惨状を伝える戦災記念碑と地蔵が、北西に約五キロ離れた台東区谷中の寺の墓地にひっそりたたずんでいる。「なぜ墨田区の碑が谷中に?」。調べを進め、ブログで発信しているのが谷中に住む著述業仲村明子さん(58)。建立時の情報などを求めている。 (井上幸一)
 墓地に碑と地蔵があるのは、瑞輪寺(ずいりんじ)(谷中四)。碑には、「火ノ海ト化シ」「町会員二百十六名ノ戦災死者相生ジ」「将来戦争再発ナキ様記念シ其(そ)ノ御霊ヲ此(こ)ノ地二祀(まつ)ル」など、江東橋一丁目の被災状況が刻まれている。
 施主は、本社が江東橋一丁目にある歯科医療機器などのメーカー「吉田製作所」の創業者、故山中卯八(うはち)さん。昭和二十八(一九五三)年八月に建てられたと記されている。

瑞輪寺の墓地にある地蔵と碑の前に立ち、情報提供を呼びかける仲村明子さん=いずれも台東区で

 仲村さんは七年ほど前に自宅近くにある碑などの存在に気付き、非戦の思いを込めた碑文の美しさに心を打たれ調査を開始した。夫の熊谷寿郎さん(61)に聞くと、昔は多くの江東橋の住民が訪れていたという。だが、国や台東区、墨田区、東京大空襲・戦災資料センター(江東区)などに記録はなく、一部の人しか知らなくなっていた。
 仲村さんは、吉田製作所に当たったが詳しく知る関係者はすでにいなかった。一九七八年発行の社史を借りて読むと、大空襲で社屋は焼失し、会社は卯八さんの二十代だった三男や工場長ら三十八人の犠牲を出したとの記述を発見。碑の建立当時、卯八さんは江東橋一丁目の町会長だった。
 調べで、卯八さんは瑞輪寺と関係の深い谷中の正行(しょうぎょう)院とつながりがあることも分かった。また、画家で政財界とも交流があった義父の故熊谷登久平(とくへい)さんが「当時、江東橋に碑を建てる場所がなかった」と証言していたことも知った。
 仲村さんは、「建立した当時を知る人にたどりついていない」と、情報を求め続ける。一方で「碑などの記録を残してほしい」と、墨田区にこれまで調べた情報を提供した。
 区では二年前に企画展を開くなど、慰霊碑などの戦争遺跡の紹介にも力を入れている。担当者は「疎開先に碑が建てられた例は知っていたが、隣の台東区は『灯台下暗し』だった。今後、戦争遺跡を展示する機会には入れていきたい」と話す。
 情報提供は、仲村さん=電090(3524)4147=へ。ブログタイトルは「熊谷登久平アトリエ跡に住む専業主婦は大家の嫁で元戦記ライター」。

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