<あの日から 東日本大震災10年>変わったこと 変わらないこと

2021年3月8日 07時07分
 東日本大震災から十年。東北地方で先月、大きな余震が起きるなど、震災はまだ終わっていない。それでも人はこの間、懸命に生きてきた。何が変わり、何が変わっていないのか。

<東日本大震災> 2011年3月11日午後2時46分、宮城県沖を震源に起きたマグニチュード(M)9・0の地震と津波による震災。死者・行方不明者は約1万8400人。東京電力福島第一原発では、炉心溶融が発生した。今も4万人を超える人が被災地から避難している。今年2月13日には福島県沖を震源とするM7・3の余震が起きた。

◆新たな語り手 育てる 「富岡町3・11を語る会」代表・青木淑子さん

 震災翌日に全町避難指示が出された福島県富岡町は、二〇一七年三月末で避難指示が一部解除され、人が住めるようになりました。四年になりましたが、町は空き地が多く、住民は以前の一割ほどです。個人商店はほぼなく、スーパーなどの営業も縮小されています。小中学校も再開し、JR常磐線の全線復旧など人が住む整備は少しずつ進んでいますが、復興というにはほど遠い状況です。
 町に戻っている人は、意思を持って戻り、多少不便でも満足しています。戻っていない人もそれぞれ事情があって戻らないと決め、避難先で暮らしていますが、故郷の富岡に対して割り切れない気持ちがあると思います。それは故郷を捨てたと思われるのではないかという不安や逆に、忘れられてしまうのではないかという寂しさです。その裏返しで「あんな危ない場所帰れるか」という怒りの言葉を聞くこともあります。戻った人からは「いいところなのになぜ戻らないのか」という声もあり、町民同士で心のバリケードがあると感じます。しかしどちらも根本には、富岡が好きという気持ちがある。何の理由もなく突然故郷を追われたことは、精神的に大きな被害だと感じます。
 富岡の被災を語り継ぐ活動をしていますが、特に原子力災害を語り継がないといけないと思っています。福島で起きた単なる出来事ではありません。原発の再稼働が進んでいる地域もあり、日本のどこでも起こりうる出来事です。講演など言葉で伝えることを大切にしていますが、中でも町民でつくる演劇は、富岡に戻ってきた人と、廃炉や除染の仕事のため住んでいる人の両方が参加し、町民同士がつながる場にもなりました。
 今は震災を体験した人から話を聞くことが多いですが、十年たったら体験していない人も自分事として語り継いでいく段階だと思います。被災した人の中には、自分たちしか震災は分からないという気持ちがあり、一方で他の地域の人には自分が話をしていいのかという声があります。体験していないとその苦しみは語れないということはない。体験していない人や若い世代の語り手を育てないと、と思っています。体験の有無にかかわらず、富岡町が新しいまちになるためのことを一緒に考えてほしいですし、福島について知ったことを身近な人と話してほしいです。(聞き手・坂田恵)

<あおき・よしこ> 1948年、東京都生まれ。福島県富岡町在住。2008年、富岡高校長を最後に退職。15年に「富岡町3・11を語る会」を設立し、講演や町民劇など伝承活動を行っている。

◆自ら動く意識が強く 東北大教授・福嶋路さん

 震災から十年がたち、交通インフラなどハード面は、ほぼ元の状態に戻りました。道路、鉄道がつながり、沿岸部には堤防が造られました。
 問題は、その中身です。地域間格差は、震災前より拡大しました。人口を見ても、増加しているのは仙台市など宮城県の一部の自治体だけで、岩手、福島両県では軒並み減っています。中には震災前の半分以下になったところもあります。
 東北にとって重要な産業である農業、漁業の復興は、なかなか難しい状況です。塩につかってしまった農地で綿花を栽培するなど新しい試みもあります。ただ、高齢化や後継者難といった震災前から抱えていた課題もあり、先細りしつつあるというのが現実だと思います。
 一方で、震災後には起業家意識が高まりました。震災直後には被災三県とも開業率が上がり、宮城県が一時は全国二位になりました。起業の動機は「人の役に立ちたい」とか「社会の問題を解決したい」とか。女性や若い起業家も震災前より増えました。「地域の人が集まれる場所をつくりたい」と、ドーナツ店を開いた女性もいます。
 何人かの起業家から聞いた言葉が「生き残ってしまったことの申し訳なさ」です。自然の猛威の中、大勢の人が目の前で亡くなった。自分は何もできなかった。生き残った自分は何をすればいいのかと考え、生き方を変えた。それが起業につながった人が多くいます。
 震災までの東北では、県外から企業を誘致して雇用を創出し、それで地域が豊かになればいいという考え方が根強かったと思います。でも、震災後は、自分たちが動かなければ何も変わらないという意識が強くなったように感じます。
 ここ数年、世界中で環境破壊に対する危機感が高まっています。自然を傷めつけながら経済成長だけを追い求めるのは正しいのか。世界中の人が疑問を持ち始めています。震災で社会問題が一気に噴出した被災地では、世界より早くそれに気付いたと言えます。東北には数値化できない豊かさがあります。それにも気付いたと思います。
 起業について言えば、東京より地方の方が有利な点もあります。それが認識され、あえて東北に来て起業する人も出てきました。これからの東北の可能性の一つだと思います。(聞き手・越智俊至)

<ふくしま・みち> 1969年、静岡県生まれ。博士(経営学)。専門は地域企業論。日本ベンチャー学会理事。著書に『ハイテク・クラスターの形成とローカル・イニシアティブ』(白桃書房)など。

◆友か敵かの対立 深刻 批評家、作家・東浩紀さん

 東日本大震災後、日本は急速に政治化しました。右と左、保守とリベラルの激しい対立です。SNS(会員制交流サイト)の普及もあり、単純化された言葉による口汚い罵倒が飛び交うようになりました。
 震災前は曲がりなりにも政権交代が起きる国でした。その後は安倍長期政権になり、民進党が解体。よほど劇的な変化がない限り、しばらく政権交代は起きない。与党か反与党かという選択になったのだと思います。
 その結果、二〇〇〇年代はそれなりに支持されていた中道が一番非難されるようになりました。「安倍の側か、反安倍の側か」などが突きつけられ、「どちらでもない」は許されない。若い人たちにとって政治的な発言とは、今やそういう友か敵かの選択のことになっています。
 希望があるかと聞かれると、社会のいろんな小さい所にはあっても、大きく日本社会全体について言えば希望はないですね。悲観的? いや、現実的に見てそうなのです。
 論壇ですら互いの人格攻撃だけで、全く機能していません。今こそ新しい中道的な論者、常識的な知識人が強く求められています。僕はそうありたいと思っていますが、僕の言葉は今、届く人にしか届かないでしょう。若い人たちは思想なんて役に立たないと思っている。役に立つのはデータ、ファクト、エビデンス(証拠)。そして後は政治的な選択です。
 この十年で浸透した言葉に「知る、分かる、動かす」というものがあります。ファクトに基づいて、政策を選ぶということです。しかし現実には、ググる(インターネットで検索する)、コピペする(ネットの情報を引用する)、ハッシュタグを打つ(ある問題についてSNSで自らの意見を発信する)だけになってしまい、「考える」が決定的に欠けている。なぜ相手はそういうことを言うのか、理解できないとしても立ち止まって考えることがなくなっている。
 私たちの社会はいろんな考えの人が集まっています。間違っていると感じる考えもあるでしょう。でも、それを攻撃するのではなく、互いに少しずつ理解し合い、地道に正しい方向に導いていくしかありません。それこそが、世界を友と敵に分けて考える友敵理論というウイルスに対する思想のワクチンなのだと、僕は思います。(聞き手・大森雅弥)

<あずま・ひろき> 1971年、東京都生まれ。株式会社ゲンロン創業者。『存在論的、郵便的』(サントリー学芸賞受賞)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(毎日出版文化賞受賞)など著書多数。


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