<東海第二原発の10年>(上)綱渡り 冷温停止「運が良かった」

2021年3月8日 07時37分
 二〇一一年三月十三日夜、東海村の日本原子力発電(原電)東海第二原発では、地震で失われていた外部電源が約五十三時間ぶりに復旧した。これでようやく「冷温停止」に持って行ける−。当時の現場を知る東海事業本部の職員は「一安心した。そこは大きかった」と振り返る。
 原子炉の温度が一〇〇度未満を維持する冷温停止の達成は、それから約二十九時間後。十一日午後二時四十六分の地震発生から実に三日半近くが過ぎていた。これだけ時間がかかったのは、原子炉の冷却に必要な非常用電源の一部が津波でダウンしたからだ。

■ポンプ水没

 東海第二を高さ五・四メートルの津波が襲ったのは、地震から四十六分後。半年前に設置したばかりの防護壁(六・一メートル)の上端まであと七十センチに迫ったものの、海沿いに並ぶ海水ポンプ群は守れるはずだった。
 ところが、約三時間半後、現場に緊張が走る。三台ある非常用ディーゼル発電機(DG)の一台が、駆動時の熱を冷ます海水ポンプの停止に伴ってストップ。防護壁の一部で防水工事が終わっておらず、そこから海水が浸入し、ポンプを動かす電動機ごと水没したのが原因だった。
 外部電源が喪失した場合、復旧までの間、非常用電源で原子炉冷却を続けなければならない。止まったDGは、原子炉内の高温高圧の水蒸気をくぐらせて圧力を下げるプールの冷却設備に電気を送っていた。無事だった残り二台のDGで原子炉への高圧注水設備などの運転を継続し、全ての非常用電源が失われた東京電力福島第一原発のような事態は免れた。

非常用ディーゼル発電機の海水ポンプ3台。左の小型のポンプが水没した=東海村で(日本原子力発電提供)

■想定の範囲

 「綱渡り」の三日半だったように見えるが、原電は反論する。前出の職員は「DG二台による冷却操作は設計上の前提。原子炉の温度は一〇〇度近くまで下がり、外部電源復旧の見通しも立っていた。決して綱渡りだったわけではない」と強調する。
 原電はその年の十二月、「六・一〜八メートルの津波来襲」を想定したシミュレーションを県原子力安全対策委員会に報告。津波が防護壁を乗り越えて三台のDGが全て停止しても原子炉は冷温停止できたと結論づけている。
 当時東海村長だった村上達也さん(78)は、冷温停止までの三日半を「心配はしたが、原子炉の水位は十分にあると報告を受けていた。福島のようにはなるまいなと思っていた」と回想する。地震で止まった水道や電気などの復旧や、福島第一の危機的な状況に気を取られ、東海第二の優先度は低かったという。

■弁操作170回

 東海第二では、原子炉圧力を下げるため高温高圧の水蒸気を格納容器内に逃す安全弁の操作が手動で百七十回も行われた。村上さんは「これは危なかったと思う。一回でもうまくいかなかったらどうなっていたのか」と疑問を呈し、かたくなに「綱渡り」説を否定する原電にくぎを刺す。
 「結果論では『よくやった』と言えないこともない。だが、福島のようにならなかったのは運が良かっただけだ」
 原電は新規制基準に基づき、東海第二で最大一七・一メートルの津波を想定した防潮堤の建設に着手。非常用の電源や冷却水の多重化も進む。再稼働を目指す原電は、これらの事故対策工事を二二年十二月に終える計画だ。 (宮尾幹成)
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 東日本大震災と福島第一原発事故から間もなく十年。3・11を境に、東海第二原発を取り巻く状況は激変した。原電、周辺自治体、脱原発派の十年を三回にわたってたどる。

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