<3.11から10年 停電、その時患者は>(上)あと1時間。バッテリー切れる… 命の綱、電源確保に奔走

2021年3月9日 07時33分

東日本大震災の停電で命の危険があった伊勢知那子さん(右)と母親の理加さん(家族提供)

 たん吸引器のバッテリー切れが、刻一刻と迫っていた。残りは一時間ほど。東日本大震災発生から二日後、宮城県石巻市の伊勢理加さん(53)は、当時十四歳の三女、知那子さんを見ながら気をもんでいた。
 赤ちゃんのころに低酸素脳症に陥った知那子さんは、鼻や口以外で呼吸ができるよう気管を切開している。自力でたんを出せず、一時間に数回、電動の機械で吸い出さなければ窒息の恐れがある。一回数分だが、いつまで持つか。
 震災当時、自宅は二階まで津波が押し寄せた。幸い家族は全員無事で、吸引器二台も、避難所となった小学校に持ち出すことができた。しかし、電気が復旧するめどは立たなかった。
 知那子さんは胃ろうで栄養を取っている。理加さんはまず、泥だらけの車や自宅の中を捜し、胃への注入器や栄養剤を見つけ出した。津波の水が引かない中、寒さをしのぐためポリ袋を体に巻きつけ、助けを求めて病院や薬局を訪ね歩いた。
 避難所に発電車が来たのは震災から約一週間後。それまでは救助活動中の自衛隊や、先に復旧した地域の人に助けられて何とかしのいだ。避難所での生活は二カ月に上った。「たんの吸引は音が響くので迷惑かと心配だったが、温かく見守ってくれた」と感謝する。
 経管栄養やたんの吸引、人工呼吸器などの医療的ケアが必要な子は二〇〇五年の九千九百八十七人から、一九年は二万百五十五人と二倍以上に増加。医療の進歩に伴い救える命が増えたためで、在宅でケアを受けている人も多い。彼らにとって停電は命を左右する。

台風の停電で酸素濃縮器が使えなくなった根本侑弥さん(右)と、母親の希美子さん(家族提供)

 茨城県つくば市の根本希美子さん(42)も、停電に震えた一人だ。台風24号が本州を縦断し、広範囲で停電が起きた一八年十月一日午前二時ごろ。生後間もなく無酸素状態になった影響で自力呼吸が難しい長男侑弥さん(14)のそばで、酸素濃縮器のアラームが響いた。バッテリー残量が少ないことの合図だ。
 侑弥さんにとって高濃度の酸素を供給する濃縮器は不可欠。それから三時間ほどでバッテリーは切れ、外出時用の電気が不要な酸素ボンベに切り替えた。手元にあるのは三本で、一本当たり持って一日。運良く昼前には電気が戻ったが、希美子さんは、カセットボンベで動く発電機を約十万円で購入した。
 あの晩のじりじりした思いは忘れられない。希美子さんが代表を務める医療的ケアが必要な子を育てる保護者らの団体「かけはしねっと」は一八年末、発電機購入への助成を求める請願を、市議会に提出。市では翌年四月から、人工呼吸器が必要な患者らに対する上限十万円の助成が実現した。
 「誰もが大変な災害時は自分たちで電源を確保するしかなくなる」と希美子さんは言う。しかし、自助任せでいいのか。3・11以降、国内ではつくば市をはじめ、被災経験のある地域を中心に、発電機の購入を助成する自治体が少しずつ増加。民間でも連携を強める動きが広がりつつある。
 ◇ 
 多くの死者・行方不明者を出した東日本大震災。揺れや津波が収まった後も、長く続いた停電によって、医療的ケア児の命は危険にさらされた。国内では大震災以降も、台風や豪雨など大規模停電を伴う災害が相次ぐ。当事者たちの経験を通じ、どんな支援が必要かを考える。 (細川暁子)
 =次回は十日掲載

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