<ふくしまの10年・東京で暮らしていく>(1)心のずれに もやもや

2021年3月9日 07時47分

東日本大震災の犠牲者追悼と復興への願いを込め、夜明けの海に向かって手をつなぐ人たち=2013年3月10日

 「何か壁がある…」。原発事故の後、娘二人といわき市から東京都千代田区に避難したゆかりマルシャンさん(49)は、今の気持ちのもやもやをそう表現した。
 「復興って美しい、前向きなイメージがあると思う。避難というと、まだ避難しているの、前向こうよーとなる」
 いわきのママ友と連絡を取ることもある。「うちは(安全と思う食材で)弁当を続けてたけど無理だわー」と聞くと、周囲に同調せざるを得ない雰囲気を感じ、大変だなあと思う。
 避難者に提供された住宅にいないで家賃を自分で払えば、と言われたこともある。自分の気持ちを知らない人に、なぜ東京にいて子どもを育てているのか説明するのは難しいと感じた。
 娘たちは二年に一回、甲状腺検査を受けており、結果に神経をとがらせている。数年前にいわきの自宅周辺の土の放射性物質の濃度を測ったが安心できるような数値ではなかった。自分の中では終わっていない原発事故。それを過去のものとする社会、人の心とのずれを「壁」と感じる。

いわき市から東京に避難したゆかりマルシャンさん。歌声で避難者たちを励ます=東京都練馬区の生涯学習センターで(木口慎子撮影)

 避難したのは東日本大震災から五日後の二〇一一年三月十六日。娘たちは四月から小学校一年、二年になるところだった。最初は両親も一緒だった。
 すでに避難していた友達は「早く避難しなよ」と泣きながら電話してきた。離婚して東京にいた元夫からも「大変なことになってるじゃん」と連絡があった。
 震災前はいわきで歌手として働いていた。「食事も出している店で、私もドレスなんか着ちゃって一日三回、ジャズなどを歌っていた」。避難で暮らしは一変し、食べるものや着るものを考えることで精いっぱいとなった。
 東京の親戚は助けてくれなかった。母親が足が悪かったため、床で寝る避難所暮らしはためらわれ、ホテルで一カ月間暮らした。みるみる貯金は減った。
 ◇
 長期連載「ふくしまの10年」はきょうから新シリーズ「東京で暮らしていく」(全五回)を始めます。東京電力福島第一原発事故から十年。首都圏には今も福島から避難した人々が暮らしています。終わらない原発災害によって、一変した人生をつづります。 (早川由紀美が担当します)
 ◇ご意見はfukushima10@tokyo-np.co.jpへ

関連キーワード


おすすめ情報

ふくしまの10年の新着

記事一覧