<3.11から10年 停電、その時患者は>(下)自助限界を救った広域連携 「発電機を北海道に」愛知から発信

2021年3月10日 07時34分

重症児らのために発電機などを備蓄している鈴木さん=名古屋市内で

 二〇一八年九月六日未明に起きた最大震度7の北海道地震。この地震で国内では初めて、ブラックアウト(全域停電)が発生した。停電は二百九十五万戸に上り、復旧までには最大で二日もの時間がかかった。
 たんの吸引器や人工呼吸器などを使う医療的ケア児にとって、電気は命綱。いち早く反応したのが、名古屋市に事務局がある「全国重症児者デイサービス・ネットワーク」代表理事の鈴木由夫(よしお)さん(70)だ。「発電機を北海道に届けよう」。加盟する全国三百以上の事業者に、同日早朝から声を掛け始めた。
 連絡を受けた仙台市のNPO法人「あいの実」代表理事の乾祐子さん(68)は、一一年の東日本大震災で停電を経験した。当時、同法人が訪問介護サービスを提供していた患者の中には人工呼吸器が必要な人がいた。真っ暗な中、職員が手押しで空気を送り込む装置を使い、ようやく命をつないだ。
 「何とか助けなきゃ」。その一心で、同ネットワークに加盟する東北エリアの事業所に呼び掛け、発電機をかき集めた。夕方までに集まった六台に、携帯電話の充電器も加え、フェリーで北海道へ。翌七日昼ごろに受け取った札幌市の運上(うんじょう)昌洋さん(45)は早速、デイサービスを提供している道内の子どもたちの自宅に届けた。
 いつ予備バッテリーが切れるかと緊張を強いられていた人たちの安堵(あんど)は大きかった。災害直後、現地は身動きが取れない。運上さんは「名古屋や仙台など遠隔地からの支援はありがたかった」と振り返る。
 同ネットワークの設立者でもある鈴木さんは、「ふれ愛名古屋」の名前で呼吸器や胃ろうが必要な子どもたちが通うデイサービスなどを名古屋市内で運営している。転機は〇〇年の東海豪雨だ。愛知県内の自宅マンションが浸水し、水が引くまで三日間孤立。災害時には地域を超えた連携が不可欠と実感したという。ふれ愛名古屋では発電機のほか、利用者一人につき五日分の食料などを備蓄。鈴木さんは「万一の際は部屋を空け、遠隔地の子どもらを受け入れる想定もしている」と言う。
 地元の学校でなく、特別支援学校などに通う例が多い医療的ケア児は、普段から地域の人とのつながりが乏しくなりがちだ。寝たきりだったり、車いすを使っていたりすると災害時に避難することも難しい。
 仙台市内で訪問診療に取り組む小児科医、田中総一郎さん(57)が震災の翌年、宮城県内の医療的ケアが必要な子ども百八人の家族に聞いたところ、小学校など自治体指定の避難所に避難したのはわずか一割にとどまった。たんの吸引音などを心配し、自家用車で寝泊まりした家族も一割いた。
 自助に頼るほかない状況を避けるには、鈴木さんのネットワークのように「普段から支援者同士がつながっていることが大事」と、田中さんは強調する。加えて「家族も地域の防災訓練に参加するなど、いざというときに助けてもらえる関係をつくってほしい」と話す。それは、電気をはじめ、災害時に必要な支援を知ってもらうことにも結びつく。日頃から使っていないと発電機もすぐには扱えない。自宅で療養する子どもたちを、地域にとって「身近な存在」にすることが第一歩だ。(細川暁子)

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